<PR>高橋由伸氏が語る野球を通じて学んだ組織マネジメント
2025.02.10 00:00

マネジメントは組織の将来性を大きく左右する。それがシビアに問われるプロ野球の世界で、巨人軍の監督を務めた高橋由伸氏が経験を披露。大学野球部の後輩でフリーアナウンサーの田中大貴氏を相手に迎え、初のトーク形式の新春講演となった。
田中 野球を始めたきっかけを教えてください。
高橋 本格的に始めたのは小学4年で、友だちが所属していた少年野球チームに入りました。
田中 その頃からプロ野球を意識していましたか。
高橋 まったくないです。野球がうまいという意識もなかったですが、打って投げて抑えてを普通にできていました。それで小学6年の時に同級生に「うぬぼれるなよ」と言われ衝撃でした。自慢したつもりもないのに他人からはそう見えることがあるのかと、子ども心に学びました。その後、中学・高校でキャプテンを務めましたが、やりたくなかったのが本音です。他と異なる環境が嫌で目立ちたくない思いが芽生えたのは、振り返れば小学6年のあの体験からです。

田中 高校進学で桐蔭学園を選んだ理由は。
高橋 中学までは私と私の野球を家族が全面的にサポートしてくれましたし、生活は全部親がかり。そのままでは一生自分では何もできない人間になってしまわないかと心配した母が、千葉の実家から遠く離れた神奈川での全寮制生活を望みました。自分自身は環境変化を望みませんでしたが、今では良かったと思います。寮生活では自分の面倒を見なくてはなりませんから、あらためて親のありがたさが分かり、感謝の気持ちも高まりました。
田中 高校ではプロからの誘いもあったのでは。
高橋 どうでしょうか。監督に話はあったかもしれませんが、プロに行くとしても大学へ進学してからというのが監督や学校の方針でした。高校の先輩も大学経由でプロ入りしていましたから、高校時代もプロ野球は意識しませんでしたね。
チームと個人の目標両立が重要
田中 慶應大学の野球部で学んだことは何ですか。
高橋 慶應の野球部は未経験者でも誰でも入れます。中学・高校とスキー部だった同級生もいました。当時120~130人いた野球部員の境遇もさまざま。慶應高校から進学してきた者と受験組がいて、受験組の浪人生もいるから年齢もまちまち。5浪の同級生は23歳でした。野球に対する考え方や目標設定も多様です。もちろんチームは勝利と優勝が目標ですが、個人としては何とか1軍ベンチ入りしたい者や、一度は神宮球場の晴れ舞台に立ちたい者、野球がとにかく好きで上達したい者と一様ではない。異なる思いを持つ者がそれぞれ個人の目標を持っている。だから、チームだけでなく個人の目標設定も尊重することの重要さ、それを両立する重要さを学びました。
田中 大学ではさすがにプロを意識しますよね。
高橋 監督からもプロを意識したらどうかと勧められましたし、桐蔭と慶應で2年先輩だった髙木大成さんが西武ライオンズに入団し活躍している姿を見て、勇気づけられた面もあります。自分にも可能性があるならやってみようという気持ちになり、プロ野球が現実的な目標になりました。
田中 プロ野球で巨人軍を選んだ理由は。
高橋 両親が一番喜んでくれるのはどこかと考えた結果です。兄が毎日テレビ中継で観戦できる球団を望んだのも理由の1つです。野球を続けてきた原動力は家族やチームメイトが喜んでくれることでした。自分のためにプレーするのも良いこと。でも「周りのため」も本人の力になるなら良いと思います。プロに入ってからは仕事ですから自分のためという意識が強まりましたが、大学までは周りのためという思いが強かったですね。
田中 プロ野球選手たちから何を感じましたか。
高橋 清原さん、松井さん、広沢さんなど素晴らしい体格の先輩たちを見てパワーでは敵わないと感じ、守備を磨き長打よりアベレージを残す意識になりました。まず自分の居場所を作るためです。
若手にチャンスと自信を

田中 ここからは会場からの質問です。監督時代に人心掌握のため意識したことは何ですか。
高橋 現役からすぐ監督になったので選手との距離感が難しかったです。チームメイトだった選手も多く、仲間の感覚でいいのか、一線を画すべきだったのか、正解は分かりません。ただし、若手には彼らが一喜一憂することなく余裕を持てるよう、寛容に接することを心掛けました。
田中 監督時代に岡本和真選手や吉川直輝選手など若手を育成しましたが、育成のポイントは。
高橋 監督未経験だったので自分が育ててもらった方法を当てはめました。チャンスを与えてもらって成長した自覚があり、若手有望株にはなるべくチャンスを与えましたが芽が出ませんでした。しかし、2年目のシーズン終了間際に、岡本と吉川を2人同時に1軍で使ってみたら相乗効果で両者とも結果が出ました。それで3年目は2人をセットで起用したら壁を乗り越えてくれました。操作できることは操作して自信を付けさせました。例えば1回ヒットを打ったら次は引っ込める。3打席のうち1打席でヒットを打てば、その時点で打率3割の良い数字が残るわけです。プロ選手は数字が安心感につながり成功体験となります。岡本と吉川にはそんな工夫もはまりました。
田中 最後の質問です。もう一度、野球人生をやり直すなら、いつに戻りたいですか。
高橋 高校時代です。今でこそ大谷翔平選手が二刀流で活躍していますが、ある時期までエースで4番打者という選手は私も含め以前から少なくありませんでした。しかし、次第にどちらかに絞り込むのが、いわば野球界の常識でした。自分の場合、それを最初に選択したのが高校時代でした。誰もが大谷選手のように二刀流ができるとは思いません。それでも、彼が道を示してくれた今になって振り返れば、可能性があるのなら自分も行けるところまでピッチャーをやってみたかったという気持ちになります。ですから、もしも戻るのならば、最初にバッターへ専念する道を選択した高校時代ですね。
たかはし・よしのぶ●1975年生まれ。現役通算18年で打率.291、321本塁打、打点986。97年ドラフト1位で巨人入団、看板選手として活躍。2015年現役引退。16~18年巨人軍監督。
たなか・だいき●1980年生まれ。慶應義塾大学卒。大学時代は野球部に所属し、東京6大学でプレー。2003年フジテレビ入社、アナウンサーとしてスポーツ等を担当。18年独立。
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