EVの評価

2025.01.20 08:00

 先般の選挙でも話題になったように、SNSにおける世論がある時点から急速に一方に傾くことで社会の方向性や常識が決まってしまう世の中になった。日本における電気自動車(EV)への評価もこれに含まれるだろう。

 いまこの国においてEVの評価は高くない。もちろん航続距離や充電設備の心配などまだ過渡期の商品であることは間違いなく、万人に勧められるものでないのも事実だが、例えば一戸建ての家庭の2台目として使うなら全く問題のない水準になっているし、金額に応じて消費者の要求にしっかりと応える性能を持っている。

 しかし、それでもなお「EVは火災が多い」「重いためタイヤの摩耗が早い」などの風評が飛び交い、販売ペースが鈍化したなどのネガティブなニュースが流れるたびにSNSのコメント欄で「EVの時代は終わった。やっぱり日本のハイブリッド(HV)が一番」という話に帰結させ留飲を下げる流れがもはやパターン化されている。そこには日本製品の品質へのプライドや、中国製品への不信感、新しい技術に対する不安や忌避などが透けて見えるが、このような態度は日本に限った話ではない。

 例えば、1908年に米国でフォードT型が発売された時点では、まだ多くの人が馬車の方が使い勝手がよいと考えていたようだ。自動車は高価すぎる、馬はエサをやれば動くが車はガス欠だと止まってしまう、ガソリンスタンドを探すのが大変、故障が怖い、修理が難しいなど、当時の新聞には自動車を毛嫌いしていた人たちの意見が残る。さらに時代が下って日米貿易摩擦が激化していた時代には米国内で日本車の排斥運動が起こった。米国の自動車メーカーを守るために、日本車は壊れやすい、安全性に不安がある、国の後押しで安く販売するのは不公平、デザインもパクリといった論調が広められた。どちらの時代の言い分も、いま日本人がEVを忌避する理屈と大して変わらなく思えるのは気のせいだろうか。

 日本は技術大国を自負し、その力で国を支えてきた。そのためHVを含むガソリン車の品質や性能に対する信頼が根強く、新しい技術に対して慎重になっているのは理解できるが、世界は着実に変化している。もちろんすぐに100%EVの世の中が来るはずもなく、ガソリン車も一定数は生き残るだろうが、今後EV車が廃れると考えるのは現実的ではないだろう。

 いまEVの販売数が伸び悩んでいる一番の原因は、それまで各国で行われてきた補助金やガソリン車抑制政策によって履かれていた下駄がなくなったためだ。中国車の台頭が予想より早く、危機感を感じた欧州が締め出しにかかったことや、補助金に頼らなくても価格が下がり、テコ入れしなくても販売が安定する段階に入ったことなどを考えると当然だ。

 つまり普及初期のダッシュ期間が終わったということだ。そうして世界が価格競争、品質競争のステージに突入したなかでも、日本ではまだガソリンとEVのどちらが良いかという議論に明け暮れている。販売台数を伸ばし続ける中国車とは対照的に日本車メーカーがじわじわと業績を落とし始めているのも無関係ではないはずだ。ここに至ってもなお「日本の技術はずっと世界一」「いまのままで十分」などと努力なき自己肯定を続けてしまえば、将来的に競争力を失う可能性が極めて高い。

 こんなことをSNSに書くと「中国の回し者」などと言われてしまうので議論にならないのが辛いところだ。日本車の立ち位置と足りない部分を冷静に把握し、新しい価値を加えて再度覇権を取る準備をしなければ未来は見えない。

永山久徳●グローバルツーリズム経営研究所主任研究員。岡山県倉敷市出身。筑波大学大学院修了。東急不動産を経て下電ホテル入社。全旅連青年部長、日本旅館協会副会長、岡山県旅館組合理事長など歴任。メディアを活用した業界情報発信に注力する。石切ゆめ倶楽部(ホテルセイリュウ)監査役。

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