ゲームの中の住人

2024.12.09 00:00

 今回はもしかしたら私たちもゲームの中の住人なのかもしれないという話だ。多くの人がスマホやゲーム機で遊ぶビデオゲームの中には、プレーヤーの指示によりゲーム内の住民が冒険したり働いたり、戦ったり街を造ったりするシミュレーションゲームというジャンルが昔から存在している。そのゲーム内にはわれわれが直接操作する主人公や、オンライン上でつながる誰かが動かすキャラなどが動いているが、その他「住民」のほとんどは、定められたルールや確率に沿って自動的に動くキャラだ。

 彼らはゲームの中で生まれ、目の前の状況によって行動を選択し、時間の経過とともに経験が増え成長する。例えば街づくりゲームでは住民の1人が仕事や家族を得たり、選挙で投票したり、街を去ったりするのはプレーヤーの指示ではなく彼らの「意思」で決まる。もちろんその意思や行動原理はゲーム開発者が考えたパターンの中から選ばれるものだが、彼らは創造主の存在を意識することはなく、ゲームの中で粛々と選択を繰り返し自分の役割をこなしている。

 コンピューターの処理能力の進化に伴い、彼らに与えられる選択肢も飛躍的に増えた。彼らが朝起きて寝るまでの行動に多くの選択肢を与え、彼ら自身がそれを選ぶのであれば、それはもはや人生を過ごしているのと変わらない。われわれリアルの人間が見たり聞いたり話したり、1秒に1回ずつ選択するとしても1日当たり8万6000回の処理をしているに過ぎない。

 もしゲーム内で2次元の彼らがそれに匹敵する回数の選択を行った場合、彼らは人間同様の人格を持っていることにならないだろうか。「食べ物を食べる」という選択肢をキャラが選ぶには、彼らに「食べたい」「お腹がすいた」という認識が必要だ。それは哲学的にはもはや感情と区別がつかないという可能性がある。

 しかし、彼らにはどうやっても見えない世界がある。それはゲームの外の事象だ。彼らには3次元の世界は理解できないし、ゲーム機の周波数以上の速さも体験できない。ゲームのスタート前の世界など知る由もない。もしかしたら自分に創造主がいることくらいはうすうす感づいているかもしれないが。

 ここまでイメージできれば、冒頭の考えが生まれる。そう、人間もゲーム内のキャラと一緒なのではないかということだ。人間は光速以上の速さは体感できないし、宇宙の果ても見ることができない。生命誕生の謎は偶然が積み重なったとしか説明できないし、4次元の世界やビッグバン以前のことなど想像もつかない。そんなわれわれは誰かに与えられたり、自身で選んだりした環境の中で、毎日無数の選択肢を選んで人生をつくり上げているのではないか。そう考えるとコンピューターの中の人格とあまり変わらなくなる。

 もはやこうなると哲学や妄想の世界だと思われるかもしれないが、実際にそのような研究をしている科学者も多く存在する。シミュレーション仮説というものだ。われわれには想像のつかない存在が、われわれにとっての数十億年を数時間の感覚で眺めているかもしれない。誰か人間でない存在がビッグバンというスタートボタンで宇宙ゲームを開始し、どんな生命が誕生するかを何度も楽しんでいるかもしれない。

 だとすると、彼のゲームの中でのほんの一部の事象がわれわれの人生になる。この説は荒唐無稽だが、かといって却下するだけの材料もない。つまり半分は可能性があると考える科学者もいるのだ。

 次の1年の計を考えるに当たって、こんな視点から人生を眺めてみるのも面白い。

永山久徳●グローバルツーリズム経営研究所主任研究員。岡山県倉敷市出身。筑波大学大学院修了。東急不動産を経て下電ホテル入社。全旅連青年部長、日本旅館協会副会長、岡山県旅館組合理事長など歴任。メディアを活用した業界情報発信に注力する。石切ゆめ倶楽部(ホテルセイリュウ)監査役。

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