2024年10月21日 12:00 AM
3時の休憩時間が終わる予鈴を聴きながら、彼女は壁の「さるNGO が主催する世界一周のクルージング」ポスターを眺めていた。「写真を、特にカヌーに乗った現地の少年の写真を眺めたあとは、でかでかと書かれたその代金に視線を固定していた。一六三万円」
名前は出ていないがすぐ分かる。飲食店や商店など街角によく貼られていたピースボートのポスターだ。
本作は化粧品工場の契約社員ナガセがこのポスターに目を留めるシーンから始まる。手取り13万8000円の年収とクルーズ料金はほぼ同額。モラハラが原因で前職を辞した彼女には、工場勤務に加えてカフェ手伝いにパソコン講師と副業もこなす、忙しいが気楽な生活が合ってはいた。が、1年の勤務時間を世界一周という行為に換金できる、という気づきはナガセにとって青天のへきれき。生活費は副業で賄い、給与は全部貯金という生活が始まる。
クルーズが再び盛り上がっているという報道を目にして、09年芥川賞を受賞した本作をふと思い出した。
なにかにつけお金に換算するナガセを軸に、本作にはお金の話が繰り返し出てくる。生活には金が必要で、それには働かないといけない。だがそれだけが人生ではない。働く人すべてが共感できるつつましく優しい物語は、一方でクルーズや旅行商品の価格についても考えさせられる。
「夢」の価格は高くてもいい。だがそれはある人には1年分、あるいは一生分の労働の対価かもしれない。富裕層向けに、なんつって夢(高額商品)に付加価値をいっぱい付けて売るのは全然悪いことではないが、その夢を買う人にはさまざまな思いがあり人生がある。それを忘れないようにしないとな、なんて思わされる作品なのだった。
山田静●女子旅を元気にしたいと1999年に結成した「ひとり旅活性化委員会」主宰。旅の編集者・ライターとして、『決定版女ひとり旅読本』『女子バンコク』(双葉社)など企画編集多数。最新刊に『旅の賢人たちがつくった 女子ひとり海外旅行最強ナビ』(辰巳出版)。京都の小さな旅館「京町家 楽遊 堀川五条」「京町家 楽遊 仏光寺東町」の運営も担当。
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