モンキーツーリズム

2024.09.02 08:00

 野生のニホンザルを見に来る外国人観光客が増えている。京都の嵐山モンキーパークは、急峻な坂道を20~30分ほど上ってサルの餌場に到達しなければならないが、多くの外国人が息を切らしながらやって来る。長野県の地獄谷にある野猿公苑の訪問客は半分以上が外国人だ。特に欧州や北米からやって来る人が多く、冬場には雪を踏みしめながら2km近くある道を歩いてくる。欧米には野生のサルがいないし、雪の上に熱帯起源のサルがいるのが珍しく映るのだろう。温泉に入るサルを見るとほっこりした気分になるという。

 モンキーツーリズムは日本が起源であり、1950年代の初めに大分県の高崎山と宮崎県の幸島で始まった。当時、京都大学で動物社会学を創始した今西錦司が、動物にも社会があることを証明しようとして弟子たちをこれらの地域に送り込み、サルを餌付けして調査を始めたことがきっかけとなった。一頭一頭のサルに名前を付け、それぞれのサルの行動を記録していくと優劣順位や血縁による見事な社会構造が浮き彫りになった。大分市は観光資源になると気づき、野猿公苑を開設して観光客を集めた。これが評判になり、全国各地にニホンザルの餌付けが広がり、観光客を集めるようになった。70年代には全国で37もの野猿公苑がオープンした。

 しかし、その後サルが畑や人里に出没するようになり、害獣と見なされて駆除の対象となった。戦後の拡大造林により広葉樹が伐採されてサルが住めない針葉樹に置き換わり、奥地にまで舗装道路が延びてサルが人里まで下りてきやすくなった。さらに地方から都市への人口流出で過疎地域が増え、多くの畑が放棄されて作物の味をサルが知り始めたことが原因である。

 野猿公苑でも栄養豊かな餌を与えられてサルの出産率が向上し、個体数が急増して群れが分裂するようになった。分裂群が畑や人家に出没して問題を起こすようになった。悪者になったサルの人気は低下し、数が増えたサルに与える餌代がかさんで営業不振になった野猿公苑は次々に閉園した。いまでは猿害を起こさないようにしっかり管理されている数園の野猿公苑が残っているだけである。これらの園ではホルモンを皮下に埋め込んで、妊娠しないようにしたりして増加を抑制し、サルたちが近隣の畑や人里に出ないように管理している。

 でも、ニホンザルは人間以外の霊長類の北限に生息する貴重な観光資源だ。動物園でしかサルが見られない欧米の人々が日本にやって来る自然の魅力の1つである。おりも柵もない場所で、間近に野生のサルを観察できる。私が調査をしてきた屋久島には人間が餌を与えていない自然のままのサルが至る所にいる。サルたちが深い森の中を自在に動き回って、おいしそうな果実や葉を探して食べている姿は実に生き生きとしている。時々近くにやって来たシカの背中に飛び乗って遊ぶ姿も見ることができる。屋久島は世界自然遺産に指定されて昨年30周年を迎えた。ぜひ、こういった風景を日本のユニークな自然の遺産として未来に残したいものである。

山極壽一●総合地球環境学研究所所長。1952年東京生まれ。理学博士。人類進化論専攻。京都大学大学院理学研究科助教授、教授を経て、京都大学総長を2020年まで務めた。21年から現職。国際霊長類学会会長、日本学術会議会長などを歴任する。

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