わたしのターニングポイント 不確かな時代に立つ産業人に向けて

2024.09.02 00:00

(C)iStock.com/Hiob

ツーリズムを取り巻く環境が大きく変質している。恐らく多くの産業人が実感していることだろう。過去の経験則は通用せず、未来を見通す方程式も見つからない。それでも決断を迫られる「わたしのターニングポイント」がやって来る。

 ツーリズム産業はこれまでも常に変化し続け、その変化に伴い、産業人もさまざまなターニングポイントに直面し決断を迫られてきたはずだ。現役世代の多くがこの産業に関わるようになったバブル崩壊後の、産業を取り巻く状況の変化を取り上げてみても多くの重大な変化が生じている。

 バブル崩壊後、エアオンと呼ばれた格安航空券が市民権を得た一方でパッケージツアーの価格競争も激化。海外旅行需要を押し上げる効果はあったものの、収益構造の悪化に伴い海外旅行パッケージホールセーラーの大型倒産が相次いだ。それでも当時のツーリズム産業の稼ぎ頭だった海外旅行市場の将来性については期待感が上回っていた。

 しかし1990年代末以降は航空会社が直販志向を隠さなくなり、航空券の販売コミッションを露骨に削減するようになる。これによって航空券流通から多くの収益を得てきた旅行会社は転機を迎えることになる。それまで航空会社から獲得した多くの座席を売りこなすことで収益最大化を図ることを主な仕事としてきた旅行会社はビジネスモデルの転換を求められるようになった。対航空会社の営業担当という花形職種の終わりの始まりは、いま振り返ればこの頃だったのかもしれない。

 2000年代以降はインターネットの普及に伴い、オンラインで旅行商品や単品素材を販売するスタイルが急速に存在感を増す。外資系勢力を含めたOTA(オンライン旅行会社)が流通の主役としての階段を上り始め、ツーリズム産業でもIT技術の重要性が高まる。それまでは対消費者、対サプライヤーのいずれにも対人・対面スキルがビジネスの要諦とされてきた旅行ビジネスは大きく変質。人材に求められる資質と能力も変わり始めた。

 10年代に入るとツーリズム産業の基盤構造が変化する。それまで圧倒的にアウトバウンド(海外旅行)と国内旅行主体だったビジネス基盤が変化。インバウンド(訪日旅行)が中央に躍り出てくる。15年には訪日外国人旅行者が1900万人を超え、日本人海外旅行者の1600万人余りを大きく上回り、アウトとインが逆転した。ツーリズム産業もインバウンド対応へかじを切ろうとするが競争はゼロからのスタートで、アイデア次第、IT技術活用次第の側面があり、レガシー企業のアドバンテージは小さい。従来とは異なる発想や仕掛けが企業にも人材にも求められるようになった。

 またIT技術を駆使すれば簡単に国境をまたぐことが可能で、世界中のプレーヤーとの競争を余儀なくされる。日本のインバウンド市場を日本の企業が独占できるわけではない。グローバルな視野と発想が欠かせなくなったゆえんだ。

 こうした変化によってツーリズム産業人に求められる役割、資質、努力すべき方向性も大きく変化。かつてのツーリズム産業に適応してきた人材の中には、新たな変身を自らに課す前にこの産業を去った者も多い。一方で、ITやデジタルなどに関する全く新しい能力と資質を持った人材がツーリズム産業に可能性を見いだして、この産業に加わったケースも多いはずだ。

 しかし20年代には、それまでの変化がさざ波にしか感じられなくなるような大波がツーリズム産業を襲い、産業の景色は一変する。言うまでもなくコロナ禍の発生だ。旅行の最大かつ最重要な要素である人の移動そのものが不可能になり、すべての旅行需要が消滅した。しかも終わりの見えないパンデミックにより、多くの人材がツーリズム産業から失われ、少なからぬ人材が職を追われた。あるいは先の見えないツーリズム産業に多くの人材が見切りをつけた。

 コロナ禍を経たツーリズム産業のあり方も、ツーリズム市場の景色もコロナ禍以降、激しく変化し続けている。

【続きは週刊トラベルジャーナル24年9月2日号で】

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