分け隔てなく
2024.08.05 08:00
正直なところ退屈だった大学のマーケティング論の授業で何度も繰り返されたのが「企業は万人を相手に商いをしようとせず、市場をセグメンテーション(分類)し、ターゲットを明確に定めるべき」ということだった(STP理論)。当時は当たり前じゃないかと感じたが、確かに事業の現場ではこの理論がよく役に立つ。マーケティングの本質を1つ挙げるとすればこのSTP理論だろう。
ところが公共交通、とりわけ地域公共交通の分野にこれを当てはめようとすると意外に難しい。ここまで何度も述べてきたが、諸先進国では地域交通の主な担い手は自治体などの公的セクターであり、わが国では民間事業者が主要プレーヤーだとはいえ、国から地域独占的に事業免許を与えられる立場だからだ。
独占的な免許により競争から保護される地域交通事業者は、乗客に分け隔てなく対応することが求められてきた。長らく事業エリア内の黒字路線の利益を赤字路線に内部補助することを求められてきたのは、地域の交通網全体の維持に責任があるとされてきたからだ。同一事業者であれば都市部でも過疎部でも賃率(1㎞当たりの運賃額)が原則として一律なのも「分け隔てなく」の象徴だ(一部に加算運賃など特例はある)。
近年は規制緩和もあって制度上はその理念が薄らいだが、赤字路線に税金を原資とする公的補助が投入され始めたこともあり、「分け隔てなく」という規範意識は現場ではより強まっているように感じる。
冒頭で挙げた「ターゲットを定める」、言い換えれば客を選り好みすることがマーケティングの本質ならば、地域交通はマーケティングを禁じられてきた業界ともいえる。
もっとも、そんな悠長なことを言っている場合でもない。この国の人口は急速に減少し移動するという需要の縮小に直結するうえ、地方部は都市の構造自体が自家用車による移動を前提としたものに変化しており、公共交通の輸送分担率(市場シェア)はますます下落が予測される。
「分け隔てなく」という理念は、誰も不満を持たない最大公約数的な商品づくりを優先させ、社風を受け身にしてしまう。その結果として、顧客に不満は生まれずとも満足させられるということもなく、ますます自家用車に逸走する縮小均衡を招くことになる。
地域交通が民間の営利事業として成立したのは戦後の日本の市場環境、事業環境が極端に恵まれていたからだ。ビジネスとして成り立ってしまったことが、好条件がはげ落ちたいまのわが国の地域交通を隘路に導いているといえる。
しかし、たとえ保守的な社風とはいえ民間が担うからこそマーケット志向になり得るという強みもまた、日本の地域交通にはあるはずだ。まだまだ手探りではあるが、マーケティングの理論、手法を公共交通にどう活用できるか。試行錯誤を続けていきたい。
成定竜一●高速バスマーケティング研究所代表。1972年生まれ。早稲田大学商学部卒。ロイヤルホテル、楽天バスサービス取締役などを経て、2011年に高速バスマーケティング研究所設立。バス事業者や関連サービスへのアドバイザリー業務に注力する。国交省バス事業のあり方検討会委員など歴任。
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