パラレルワールド
2024.07.29 08:00
いつの時代も旅は想像力をかきたてる。これから訪れる未知の場所に、さまざまなことを期待する。どんな植物や動物に出会えるか、市場にはどんな野菜や果物が売られているのか、街並みはどんな異国情緒にあふれているか、どんな人との出会いがあるか、などなど。
人々の旅への情熱をかきたてたのは情報である。遠くから運ばれた珍しい果物、動物の角や皮、光る石などが、それらがあった場所への関心を高め、人々の好奇心を刺激した。それは自分たちが日常暮らす場所とは違う世界がどこかに存在することを知らせた。過去でも未来でもない現実の世界が異なる場所に同時に存在する。まさにパラレルワールドがあることに人間は古くから気付いていた。
しかし何といっても言葉の登場は旅の情報を一気に拡大した。言葉は重さがないのでどこにでも持ち運べる。遠くにあって見えないものや過去に起こって体験できなかったことを再現して伝えてくれる。言葉は音声を視覚情報に変え、頭の中にそのイメージを映し出す装置である。言葉によって現代人ホモ・サピエンスは、まだ自分が体験していないことを広く共有できるようになった。
サピエンスは20万~30万年前にアフリカ大陸に誕生し、10万年前にユーラシア大陸との接続地域に進出したが、またアフリカ大陸へ引き返している。ここで先住民ネアンデルタール人と出会ったのが原因だろう。その後、5万年前に再びユーラシアへ進出し、今度はまたたくうちにヨーロッパやアジアへと分布を広げた。言葉を獲得して広範なネットワークを作り、ネアンデルタール人を辺境へ追いやって絶滅させたと考えられている。
サピエンスは海洋にも進出してオーストラリア大陸へ渡り、厳寒のシベリアを越えて南北アメリカ大陸へも足を延ばした。恐らく未知の土地へ旅した人々が繰り返しその様子を仲間に伝え、次第に移住する人が増えたのだろう。ただ、この頃の旅は徒歩や手ごぎの舟だったはずで、新しい土地への距離は旅の日数を目安に測られたと思う。
絵画や文字の登場は空想上の存在を自在に描き、パラレルワールドの魅力を一層引き立てた。13世紀のマルコ・ポーロによる『東方見聞録』はヨーロッパの人々のアジアに関する関心を一気に高め、コロンブスの航海はそこに書かれた黄金の国ジパング(日本)を発見することが当初の目的だった。その後、『ガリバー旅行記』など次々に異世界を旅する小説が現れ、ヨーロッパは大航海時代へ突入する。陸では馬や機関車や車が旅の速度を速め、19世紀前半にはドイツや英国で旅行ガイドが登場した。
飛行機が主流となった現代の旅は時間が距離を表さなくなった。インターネットやSNSで旅先の情報が得られるのでパラレルワールドへの期待が極めて現実的なものになっている。しかし、未知のものや未体験のことを期待しながら旅に出る気持ちは変わっていない。また、簡単に現実を飛び出す装置としてVRやデジタルツイン、メタバースなどの新技術がその欲求に応えるようになった。
山極壽一●総合地球環境学研究所所長。1952年東京生まれ。理学博士。人類進化論専攻。京都大学大学院理学研究科助教授、教授を経て、京都大学総長を2020年まで務めた。21年から現職。国際霊長類学会会長、日本学術会議会長などを歴任する。
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