2022年9月19日 8:00 AM
この夏、全国高校野球選手権大会の100年以上にわたる歴史の中で優勝旗が初めて白河の関を越えた。決勝戦前日、東北対決となった準決勝の日に訪れた仙台市内のなんともいえない熱狂を体感していた。リアルでなければ感じることのできない、その瞬間の空気と雰囲気、人々の表情、町の香り。こうしたものをまるで感じる必要がないかのごとく振る舞わされた無為に長い時間が本当にもったいなかったと思う瞬間。
優勝した仙台育英学園高校の須江航監督のインタビューは耳にした人も多いだろう。「青春ってすごく密なので。でもそういうことは全部ダメだダメだと言われて、活動をしていてもどこかでストップがかかって、どこかでいつも止まってしまうような苦しい中で、諦めないでやってくれた」と涙ながらに語り、最後は全国の高校生へのエールを呼び掛けた。つくづく、われわれ大人たちは日本の未来を背負う彼らに本当に罪なことをした。そこにまで思いを馳せる人々が増えればいいが、と思いながらテレビを見ていた。
さて、その白河の関。栃木県との県境となる福島県白河市。東北本線や東北自動車道には「これよりみちのく」の看板があった。みちのく、とはまさに「道の奥」。いまの東北6県のうち5国「陸奥国(むつのくに)」の古称「道奥国(みちのくのくに)」に由来する。かつては上野から青森へ行き青函連絡船に接続する特急列車の愛称にも使われ、東北を着地とする各種キャンペーンでは「未知の国」「魅知の国」などと字を当てながら使われてきた。
いまでは全国各地で「〇〇の国」「△△道」などと地域を広域に称するキャンペーンは頻繁に行われているが、ここまで古称から現在に至るまで、その地域を的確にイメージし、「みちのく魂」などとそこに住む人々のプライドにまで使われる名前はそうはない。一般的に複数県の施策はなかなかまとまりにくいといわれているが、大震災以降東北全域を観光で盛り上げるという仕事をしてきた中で、東北というくくりで1つになれたのはこうした歴史地理学的な見え方が影響している面も大きい。
一方で県という行政単位は人の動きを制御する。甲子園の予選が県ごとに行われ、感染症対策の濃淡が県ごとに異なるように。平成の大合併で市町村の数はほぼ半減(1999年3232→2010年1727)したにもかかわらず、現在の47都道府県のフレームは1888年(明治21年)にいまの香川県ができたのを最後にほぼ変わっていない。教育や選挙などの仕組みも47つ。鉄道のご利用が県境を境に大きな段差ができるのは学校や行政サービスが県をまたがないからだ。
しかし、いまや日本で最も小さな鳥取県の人口は約55万人(2021年)で東京都杉並区以下。かつて活発に議論された道州制の話はどこかに行ってしまった。少なくとも近未来にはいまの形が変わることはないまま、地方の人口だけが減っていくことになるのだろう。
かつては難所となる峠へ覚悟を持って歩みを進め、その先に何が起きるかわからないと身構えながら越えた関所。いまでは「国土の均衡ある発展」と謳われ整備された高速道路や新幹線が、意識することなく県境を十数分で越えてしまう。スタバやセブン-イレブンはかつて空白域とされた県にもすべて出店した。知らぬ間に通り過ぎている関所を意識することが薄れ、どこでも同じものを求める同質性も身に付けてしまった私たち。
米国のように州に法律や税率まで高度な自治を認めるのとは違い、「お上に従う」が定石の日本で、地域の個性は人々の魂に残り続けることができるのだろうか。だから優勝旗が関所を越えた瞬間の胸騒ぎは心に刻んでおくべきだ。
高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。
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