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学ぶ順番

2022年6月13日 8:00 AM

 「蒸し器を使わない茶碗蒸し」「炊飯器で作れるケーキ」「下ごしらえ不要の時短料理集」等々、料理は好きだが技術や忍耐の伴わない私にとって最近の料理レシピサイトはありがたい。特別な料理器具や調味料が必要だとあきらめていた料理や、手間がかかると敬遠していた料理も、ありあわせの材料や家庭用の調理器具で似たようなものが作れてしまう。おいしい料理が完成した時は、インターネットが人類の知の集合体だという意味を実感する。

 また、電子レンジやオーブン、電気鍋など調理家電が進化したことで料理そのものも格段に楽になった。ほとんどの人がガスコンロでもカレーライスくらいは作れるだろうが、一般的にはまず肉を炒め、野菜を順番に加え、火加減を調整して最後にカレールーを投入するといった、難しくはないがそれなりの行程が必要だと考えると少しおっくうになる人もいるはずだ。

 いまの電気鍋ではこの手順は不要だ。肉と野菜とカレールーを同時に鍋に入れ、ボタンひとつ押すだけでほぼ完璧なカレーが完成する。もちろんカレーだけではなく、ローストビーフでも酢豚でもボタンひとつ。誰でも安全に本格的な調理が可能だ。食べたいものが思いつかない日でも、冷蔵庫が旬の食材や近所のスーパーの特売情報を基に「筍の若竹煮はいかがですか?」などと話してくる。「それいいね」と答えると電気鍋に情報が転送され、若竹煮のボタンが追加され、画面に必要な材料と分量が表示される。この程度であればIoTを使ったDX(デジタルトランスフォーメーション)はキッチンでもすでに実現されている。

 外食に制限が課せられたここ数年、テイクアウトグルメも一般的になったが結局は「てんやもの」。物足りない人も大勢いたはずだ。外食並みの出来たての料理を簡単に作って食べたいというニーズに応える形で自宅調理の進化が加速したように思う。料理に興味はあっても危険なのでキッチンに入れてもらえなかった子供や、厨房に立たないことをポリシーとしていた昔気質のお年寄りが料理を始めることはとても良いことだ。

 かといって、いくらレシピや調理器具がアップデートしてもすべての人がおいしい料理を作れるということでもなさそうだ。料理レシピサイトのレビュー、コメント欄にはかなり辛辣な意見が並んでいる。「『適量』の定義が不明」「野菜を『適当に刻む』だけでは適当すぎる」「『ラップをかける』と書かれているが図解がない」「『フライパンを熱する』とは何秒間熱するべきなのか」等々、料理をしたことのある人から見れば頭の痛くなる意見だ。いくら機械のアシストがあっても料理知識がゼロの人がいきなり料理するのは、それはそれで無理がある。理論を知らないままでは、彼らはいつまでたってもキャンプでカレーライスは作れないだろう。

 料理をしてみたいと思い立った人に必要なのはレシピを探す検索能力、書かれている単語や動画での作業内容が理解できる程度の知識といった要素だろうか。それを求める人に対し、調理実習や料理教室が食材の見極め方や包丁の使い方から懇切丁寧に教えていたのでは相当まどろっこしく感じるはずだ。しかし、基本を知らないまま料理を続けてもいつか壁に突き当たる。学ぶにあたり望まれる順番が変わってしまっているのだろう。

 この学ぶ順番の変化は料理に限らない。仕事でも研究でも、検索や機械の助力ですぐにマスターできると考えている素人に対して、外せない基本の大切さをこれまで以上に明確に伝える必要がある。教える側の負担が増す時代だ。

永山久徳●下電ホテルグループ代表。岡山県倉敷市出身。筑波大学大学院修了。SNSを介した業界情報の発信に注力する。日本旅館協会副会長、岡山県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長を務める。元全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会青年部長。