2022年5月2日 8:00 AM
桜の開花の便りに触れ始めたころから、急に白髪が増えた。クセ毛とあって悪目立ちして仕方ない。調査業務に論文執筆、それに大学院での研究はどれも根を詰めてしまう。仕事の進め方がチーム戦から完全なる個人プレーへとスタイルを変えて5年半が経過した。長年のストレス蓄積による作用が春の陽気に誘われ一気に発現したとみるべきか。あるいは、もう若くないということを潔く認めなければならないのか。
日本人の平均年齢は48歳という。それに近づきつつあると思うと何とも感慨深い。最近、出身の旅行会社で近い世代が支店長や部長職に昇進したという話をよく聞くようになった。レールの行く末がどちらへ敷かれているかは、昇任前の部署や役職を知ることで概ね判明する。前の世代が身をもって教えてくれているからだ。
人生こそ折り返し地点なれど、はるか遠くに霞んでいた仕事というマラソンのゴールテープはその見え方がいよいよ明瞭になりつつある。自身にはさほど関わりのないトピックであるものの、そんな世代へと足を踏み入れたこと自体をしみじみ思う。他方、近視矯正のコンタクトレンズを装用したままでは近くのスマホの画面が見づらく気分が晴れない。老眼が始まり、視界は不良だ。
さて、立場や役割が変わることで偉くなったと勘違いする人は少なくない。さらに経験ばかりを尊び、経験者以外には語らせないとのたまう御仁となると厄介なことこの上ない。学生の時に勉強していないことや理論を実務に適用する力がないことを隠すには、机上の空論という言葉は非常に便利である。
理解は経験でなく論理によって可能だ。学生の時に読んだものと比して難解な本を社会人になってから読めるだろうか。時間的制約を鑑みると至難の業といえる。例外こそあるものの、学生の時の学習や研究がその後の思考や仕事の仕方を決めるといってもあながち過言ではない。
大学院においても思う。役に立つ領域に限定して研究費を投入しろであったり、優秀な学生に限って奨学金を給付せよであったりといった声は、なぜか根強い人気に支えられる。そんなことを簡単に見極められると思うのは実に傲慢ではないか。そうした自信はどこから来るのか。
知を対象として先述したのと同様に、謙虚さがあまりにも乏しいように感じてならない。「当たる馬券だけ買え」とか「芽が出る種だけに水をやってください」と言うのと同義であることに気づかないものか。
そうした主張をしているのは、「馬券が当たった」「芽が出た」立場の人に限られる。馬券を外した人や芽が出なかった人には反論の場がないか、あるいはそうさせる気力を伴うことがないので、結果として一方的な思想だけがまん延してしまう。ただ、それではダメだということが明らかな時代である。負け組がもっと声を上げ続けることが必要だ。いま、「負け犬の遠吠え」こそが切実に求められている。
伝統的旅行会社において、抱える事業別の熱量の濃淡は明瞭になりつつある。BtoBのソリューションビジネスに邁進することは盲信ではなかろうか。なぜその領域だけ特別なのだと思いあがれるのだろう。スポーツ自体に罪はないが、「感動を与えたい」「夢を見せてあげる」系のアスリートには不快な気持ちにさせられる。どうにもそうした筋肉系の人々と近しく見えてしまうのだ。
業界への本来の愛を持ち続ける負け犬に、井の中の蛙に立ち向かう奮起を求めたい。そんなことを考えていると、週末に白髪染めをお願いしようとしていた自分が、なんだか恥ずかしく思えてきた。
神田達哉●サービス連合情報総研業務執行理事・事務局長。同志社大学卒業後、旅行会社で法人営業や企画・販売促進業務に従事。企業内労組専従役員を経て現職。日本国際観光学会理事。北海道大学大学院博士後期課程。近著に『ケースで読み解くデジタル変革時代のツーリズム』(共著、ミネルヴァ書房)。
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