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日本デザインセンター・原研哉社長が語る「日本のラグジュアリーとは何か」

2022年4月11日 12:00 AM

東京都と東京観光財団は2月3日、「ポスト・パンデミック期の新しいストーリー」をテーマに観光活性化フォーラムを開催した。基調講演では日本デザインセンターの原研哉代表取締役社長が世界に向けて発信することのできる日本の価値について語った。

 明治維新後に日本が世界の表舞台に立ってから150年。富国強兵策により列強に並ぶことを目指し帝国主義的な発展を遂げたものの第2次世界大戦の敗戦で大きな挫折を経験しました。そこから戦後75年の間に日本は工業立国を果たし豊かになりました。しかし世界はいまやモノづくりの時代から価値づくりの時代に移行し、新しい価値を創り出す力が求められています。

 かつての繁栄モデルでは、都市が栄え都市間の移動が活発化し、加工貿易に適した国づくりが求められてきましたが、もはや日本列島が世界の工場だった時代は遠く過ぎ去り、次のモデルを模索すべき時期に来ています。

 次のモデルになり得る新たな価値の創出、その前提となるのは日本人が共有する美意識です。簡素さや清潔さへの意識、細部を突き詰める繊細さや丁寧さはわれわれが共有する価値観です。日本のトイレが清潔なのは清掃だけの力ではありません。トイレを使う人の心にも掃除をする人の心にも同じ価値観が反映されていなければきれいになりません。世界最大の都市圏である東京・横浜圏の夜景が美しいのは無数にある照明の電球が1つとして切れておらず完璧に整っているからでもあります。

 日本の道路や歩道、広場における設計のデリケートさと見事さは、雨の日に東京駅の丸の内広場のあたりを歩けば分かります。雨水は繊細に設計された勾配によりきれいに流れ去り、どこにも滞らない。これほど完璧な排水を可能にする路面設計が施されている都市は世界でも数少ないと思います。

 こうした日本人の持つ価値観・美意識に加え、四季に恵まれ変化に富む気候・風土、歴史に育まれた伝統と文化、それに食の魅力。観光大国フランスにも引けを取らない、むしろそれを凌駕する観光資源が日本にはあるのです。

https://tei-ku.com/

 「低空飛行」というサイトでは日本中を見て回った私のえりすぐりのスポットを紹介しています。釧路湿原をカヌーで移動すると手つかずの自然、日本の風土の無垢な姿を感じられます。伊勢神宮を訪れれば、人知の及ばない世界、宇宙や自然と人間が交信するための精神装置であることが実感と共に理解できます。紀伊半島南部では1400万年前の巨大カルデラ噴火の痕跡を見ることができ、日本文化の重要な特質である自然を畏怖する心がどうやって育まれてきたのかを感じることができます。

 志摩のアマネムは注目すべきリゾートです。静けさを保った空間でありながら外に開かれ、志摩の気候や風土を生かす工夫が見て取れます。天然温泉を使用したサーマル・スプリングと呼ばれる温浴施設も爽快な心地よさを提供してくれます。

 このほか日本の魅力の核心に目を凝らしたスポットを数多く紹介しています。というのも「低空飛行」で取り上げたスポットに見られるような変化に富んだ自然、あるいは千数百年にわたって1つの国として蓄えてきた文化こそが、日本の未来を創る資源だと考えるからです。

日本に根付く独自の概念

 ラグジュアリーとは何か。古代から中世にかけて価値の頂点に王様が君臨していた時代は、権威を表象する豪華絢爛こそがラグジュアリーであるとされてきました。近代以降になると王の時代は終わったものの、西欧では王が独占していた豪奢を、今度は資本家や富裕層が求め庶民はそれに憧れを抱きました。

 しかし日本では状況が異なります。応仁の乱で都が荒廃し、足利将軍は京都東山に銀閣寺を建てて隠遁。大きな文化的喪失を経て、京都東山に新たな美の基準が生まれました。それは、いわば「『何もない』が格好いい」という、それまでの渡来ものの絢爛さを賛美していた価値観をリセットしていくことにつながり、ここから日本独特なラグジュアリーが生まれました。

 銀閣寺・東求堂の書院「同仁斎」は簡素さを極めた日本的空間の原型です。一見すると何もない、英語で表現すればエンプティ。だからこそ何物をも受け入れ、相手のイメージを受け入れ耳を傾ける受容器として機能するわけです。国宝の長谷川等伯「松林図屏風」も空白が多いからこそイメージを想起させます。「空」という概念が、書院や茶室といった建築にも庭園や絵画にも生かされ、豪華に埋め尽くすこととは真逆の発想がなされています。自然をコントロールするのでなくどう生かすのか、よりマイルドな発想が根底にあります。だからこそ、多様に多くのものを受け入れることができる。そこに日本の価値の鉱脈が眠っています。

 花を飾る文化は世界に見られます。しかし生きた草花をフラワーアレンジメントのように飾り立てるのでなく、より少なくより簡素に飾るのは日本の生け花だけの特徴です。切り花にせず文字どおり生きたままの草木を空間に配する盆栽のような見せ方もある。これが世界では現代アート的な扱いを受けています。日本の美的感覚には世界を震撼させ得る価値の根源が存在するのです。

単純なエキゾチシズムに訴えない

 世界中の9割以上の人は日本のことなど考えたこともなく生きてきているように思います。もちろん寿司やアニメ、折り紙は知っていても、多くはそこ止まりで日本のことを理解しているわけではありません。そうした人々に本当の意味で日本を知ってもらうことが重要です。いかに日本を知らなかったかに気付いてもらうことで未知なものへの興味が湧き、知れば知るほど興味が喚起され、最終的に大きな衝撃につながっていくからです。

 外務省はジャパン・ハウスプロジェクトとして日本文化の発信拠点をサンパウロ、ロサンゼルス、ロンドンの3カ所に開設し、私は総合プロデューサーを務めました。留意したのは、単純なエキゾチシズムに訴えて初見で「ワオ!」と驚いてもらうことではなく、時間的な経過を経た後に「分かる」衝撃を感じてもらうことでした。

 たとえば日本の陶磁器を展示販売していると、「なぜ、ごく普通に見えるこの茶碗がこの値段なのだ」といぶかる人がいます。初めは高いから手が出ない。しかし、その人が最初に感じた「なぜ」を知ろうと考え、情報を集めることで次第にその茶碗の世界観や奥行きを知り、それが欲しくなり、日本文化への理解が深まり、さらなる奥へと導かれていく。そうしてじわじわ来る衝撃の方が、「ワオ!」の一瞬で終わってしまう関心より圧倒的に大きいと考えたわけです。

グローバル化とローカルの価値

 新しいラグジュアリーのあり方に関する仮想的構想として「半島航空」というプロジェクトを考えています。海でも陸でも離発着できる飛行艇を使用し、日本列島の半島と半島を結ぶ空路を構想してみました。半島だけでなく琵琶湖や瀬戸内海などを加えてもいい。海や湖が滑走路になるから飛行場を作らなくてよく、従来の都市間移動と異なる発想の空路を作ることができるはずです。しかもプロペラ機の飛行艇ならジェット旅客機よりはるかに低高度を飛ぶので日本列島の変化に富んだ地形と上空からの美しい景観を堪能できます。

 都市間移動を目的とした高速鉄道や航空路が発達したのに伴い半島はアクセスしにくい場所になってしまいましたが、三方を海に囲まれ自然に恵まれた半島には輝ける可能性があります。

 ラグジュアリーを考えるうえでホテルの存在は示唆に富んでいます。スリランカにヘリタンス・ガンダラマというホテルがあります。農業用水用に作られた人造湖畔に広がる熱帯雨林の中にあるホテルです。建物の大半は植物に覆われているため自然と混然一体となったホテルの全容を見ることができません。それでありながら、さまざまな光を見事に取り込む素晴らしい建築設計。自然を際立たせながらこの土地の風土や文化を体感できる空間づくりに感銘を受けました。

 欧米資本によるアジアの高級リゾートには西欧からアジアを見る独特な目線を感じます。アジアの文化や様式を異国情緒として尊重はしても、あくまで西欧式を優先し、植民地だったアジアのエッセンスを上手に取り込みラグジュアリーを実現しているのが特徴です。現地の風土や情緒、あるいは安い労働力を顧客に差し出すことでラグジュアリーを演出しているわけです。

 アマンリゾーツが実現しているラグジュアリーはやや異なります。植民地時代にできた滴るようなぜいたくを提供しようとしているわけではありませんし、アジアの文化に敬意を払い研究したうえでホテルに取り込んでいます。アマン京都も日本文化をよく研究している印象です。しかし世界から日本にやって来る人々をもてなす日本のホテルのあるべき形とは少し違うようにも感じますし、日本のホテルがそれを提示すべきだと思います。

 ところが日本のホテルは西洋文化を咀嚼する役割を担って誕生し、いまに至ります。そこから日本独自のラグジュアリーを生むのは難しい面があります。私が注目するのは無印良品が展開するMUJI HOTEL。ラグジュアリーではなくカジュアルのホテルですが、簡素を旨とする日本式のミニマルを堪能できます。日本流のエンプティから発想し簡素さを考え抜くことで狭さも含めて、従来のホテルの価値観とは異なるバリューを創造し、日本ならではの価値体験を創り上げていくことが可能ではないかと期待させてくれます。

 世界がグローバル化しているのは間違いありませんし、グローバルになればなるほど文化的な特異性、ローカルの価値が高まります。固有の文化や伝統、自然環境が、グローバル化する世界の中では一段と輝きを増します。グローバルとローカルは対義語ではなく、一対の概念として意味を持ちます。これからは日本においても、対外的にローカルの価値をきちんと見せていくことが、新たな価値の創造につながっていくのだと思います。

はら・けんや デザイナー。武蔵野美術大学教授。世界各地を巡回し既存の価値観を更新する展覧会や教育活動を展開。長野五輪や愛知万博では日本文化に根差したデザインを実践した。無印良品のアートディレクション、松屋銀座、森ビル、蔦屋書店などのブランドアイデンティティーで知られる。著書に『デザインのデザイン』『白』など。