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まったくべつじん

2021年12月13日 8:00 AM

 両国駅の改札口には他の駅とは少し違った風景がある。天井から吊り下げられているのは「満員御礼」のタペストリー。足元をよく見ると床は土俵を模したデザイン。壁には力士の巨大な肖像画と手形が飾られ、隣の駅ビルは本物の土俵まである相撲ミニテーマパークのような感じになっている。ちゃんこ屋に天ぷら、とんかつ屋など、江戸情緒の味わえる飲食店も密集し、コロナ前は本場所が行われない時でも外国人観光客でにぎわった。国技館の反対側、相撲部屋などに通じる昔ながらの「横網横丁」もあり、これもまた独特の情緒を醸し出している。

 さて、ここまで読み進めていただいた方は「横網横丁」をどう読んだろうか。正解は「よこあみ」。江戸時代からここは南本所横網町と呼ばれる地域であった。この地に2代目の国技館が来たのは1985年のこと。相撲の町だから「よこづな」と読んでしまう気持ちもわかるがそうではない。町を歩くと住居表示などにわざわざ自主的にフリガナを振ってあるものも目に付く。漢字を間違えているのではないか、との指摘も多いのだという。

 新幹線の「せんだい」駅は2つある。1つは東北新幹線の仙台、もう1つは九州新幹線の川内。ひらがなとローマ字は全く同じ。立山(富山)と館山(千葉)、福島と福島(大阪の隣駅)など、こうした同音駅名は数多い。その地に住む人には読めて当然な地名が観光客には難読地名と化すこともある。総曲輪(そうがわ)、香林坊(こうりんぼう)、足羽川(あすわがわ)。いずれも富山、金沢、福井の中心だ。住む人にとっては読めて当然だから、看板やチラシにもたいていフリガナは振られていない。そのことを地域の方々に指摘したら驚かれた。

 しかし、実はこれが日本のデジタル化を阻む最大の要因でもある。地名もさることながら、人の名前を漢字だけで正確に言い当てるのは困難を極める。漢字とその発音、日本は土地や人の名前に2種類のアイコンを有する特殊な国。中国は漢字が決まればその発音(ピンイン)は原則固定されるので1種類。その他の国も何らかの文字が発音を定義する。

 今年の東京五輪から、会場やテレビで紹介される日本人のローマ字表記はこれまでの名・姓の順序が姓・名に変わったのをご存じだろうか。そのことを知らないで海外に出かけ「マイネーム・イズ・アツシ・タカハシ」などと言うと知らないうちに全(まった)く別人(べつじん)になってしまう。クレジットカードなどはどうなるのだろうか。

 デジタルとはすべての情報をデータ化するということ。そのデータ化の元となる基本が揃っていないことにまず向き合おう。記載したり入力したりするフォーマットが姓名を区切ってあるものとそうでないもの、フリガナがあるものとないものが混在しているとすれば、それはすなわち同じ人間と判断するのが難しいということを意味する。

 デジタル庁もでき地域や観光のデジタル化が加速することだろう。しかし、それが単なるアプリの導入や移動データの活用といった技術の話になってはいけない。ありがちな観光パンフレットの区切りのない説明書きでは全く役に立たない。1つでも多くの名前、地名、営業時間、入場料、歴史的出来事が正しくデータ化され、それがオープン化され活用されるようにならなければ、アプリも動かないし、コストの高いデータの集計をただ眺めるだけになる。

 バス乗り場や屋外トイレの場所、データ化すべきものは無数にあるが、それらはすべて地域にある。だからデジタル化とはIT企業の誰かがやる仕事ではない。そこに気付けるかどうかが地域DXの分かれ道だ。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。