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北川フラム氏が語る「アートから見る地域と観光」

2021年11月8日 12:00 AM

いまや世界的にも知られるトリエンナーレ「瀬戸内国際芸術祭2022」の開幕を半年後に控え、年2回開かれるせとうち観光推進機構(せとうちDMO)主催のビジネスカンファレンス「瀬戸内ミーティング」が10月7日にオンラインで開催された。プログラムから同芸術祭総合ディレクターを務める北川フラム氏の講演を採録した。

 瀬戸内国際芸術祭については06年10月ごろにお声がけをいただき、それから1年半ぐらい、個人的に現地をいろいろと見て回るなどして、地域の全体像の把握に努めました。その後、10年からの開催が決まり、ベネッセコーポレーションの福武總一郎会長(当時)に総合プロデューサーを務めていただき、香川県の真鍋武紀知事(当時)とも、いろいろ話をさせていただきながら準備を進めました。

 その時に与えられたミッションは、50年、100年と続けられるようなものにしようということ。香川県が中心ではありますが、瀬戸内に面している各県に挨拶に伺い、一緒に関わっていけないかと相談をさせていただきました。

 そして長く続けられるために必要なのは、その地域が日本と世界の中で極めて特色がある部分とは何か、その位置づけをちゃんと掘り下げることが重要な出発点になると思いました。

 例えば歴史を掘り起こすと、瀬戸内を含む近畿地方は長らく日本の中心だったわけです。古代の大阪湾にあった難波津(なにわつ)の港、これが海上交通の動脈である瀬戸内があってのものでした。穏やかな海を航路として海外からの船や北前船なども行き交いました。源平の合戦や毛利水軍と織田が戦う戦国の歴史の舞台にもたびたび登場します。また、プランクトンなどが豊富で良質な漁場ともなってきています。

 ちなみに大阪は1910年代から20年代において、東京をはるかに凌ぐ、非常に元気な「大大阪」(だいおおさか)と呼ばれる時代を持ちました。しかしその大阪は徐々に衰退し、瀬戸内も弱くなっていくというのは、ある意味で機を共にしています。そういうことも出発点にしなければならないと思いました。

 第1回である瀬戸内芸術祭2010は、瀬戸内海東部に位置する備讃瀬戸(びさんせと)で開催しました。13年から西部にある沙弥島(しゃみじま)がある坂出市から伊吹島のある観音寺市までを通した形にエリアを広げて、現在は12の島と2つの港を会場にしています。

 最初の開催時に考えたのは、一般的ないわゆる観光地や美しい場所を見せていくというのは、ある意味でスパンがすごく短い、単なる流行の話になってしまいます。そうではなく、この地域全体の本当の資源や宝物を、良いも悪いも含めて掘り起こし、そこから取り組みを始めていかなければいけないだろうということです。

ネガティブな過去にも向き合って

 例えば小豆島は観光の名所であり、直島(なおしま)はすでに美術関係で有名になっていました。男木島(おぎじま)・女木島(めぎじま)はあまり知られていない。一方で豊島(てしま)は産業廃棄物の不法投棄で大変だった時代で、豊島の魚は食べることはできないなどと言われていたこともあります。大島は長い間、主に四国のハンセン病の患者さんたちを隔離していた島です。

 そういったネガティブなことなども全部を含めて、これが瀬戸内なのだということ、あるがままの瀬戸内にちゃんと向き合っていくということが大変大きな刺激になるし、それがサステイナブルなやり方ではないかと思いました。豊島と大島を併催会場とするために時間をかけて交渉を進め、国立療養所大島青松園では芸術祭の会場とすることを含めてご了解をいただき、備讃瀬戸での開催が実現しました。

 また、観光は極めて重要な産業ではありますが、いわゆる「光を見に来る」というサイトシーイングの観光ではなく、地元の人たちが幸せを感じられる「感幸」にしなければならないだろう。そうでなければ、外から訪れる人たちにも喜ばれないという考え方も重要な出発点にしました。

 いわゆるサイトシーイングの観光による交流も大きな事業目標ではありますが、もっと根底にあるのは、これらの瀬戸内の島の人口がますます減少し閉鎖的になっていくのではなく、その振興を図って元気にしていけるということでなければ、「行ってよし」「来られてよし」にはならないのではないか。そういう事業をちゃんとしていくということも意識しました。

 芸術祭の内容をいろいろ検討していくなかで、アートと建築は多くの人たちにとって新しく、興味が持たれやすいものですから、これをベースにしました。また、島の人たちが来られる方を歓待するというような形に育てていくためには、地元の人たちが自分のお国自慢をするだけではいけません。イベントやアートの作り方そのものの中に、日本や世界のいろいろな人たちが関わっていく仕組みが必要です。この考え方に基づいた取り組みが主に「こえび隊」という、海外からの参加者も含めたボランティアのサポーター組織ができていくことに関わるわけです。

 交流という目標も掲げて、日本全国・世界の人々が関わっていけることを目指しました。また、地球環境が相当悪くなっているなかで、この地域が将来どう生きていけばいいのかという形での英知が集う場所にすることも目指しています。そして、そのやり方が、次代を担う若者や子供たちが興味を持って面白がれるような仕組みで運営していこうとも考えました。

 これらを一言でいうのならば「縁をつくっていく」ということだろうと思います。開催当初から掲げていることで、すべての想いを込めて「海の復権」と表現しています。分かりやすく言えば「島のおじいちゃま、おばあちゃまの笑顔を見よう」というのがキャッチフレーズになりました。来年の芸術祭のメインビジュアル(ポスター)も、テーマは「島のおじいちゃん、おばあちゃん」に決まりました。

 地域を元気にしていく、そのためには地域のいろいろな資源を明らかにし、自分の親や祖父母がここで生き、生活してきたことが誇りになるような形にする。この地域の資源を明らかにし、それをアーティストがちゃんとつかんで表現していくということを目指して、アートをきっかけとした芸術祭が始まりました。

アーティストと共につくる

 瀬戸内芸術祭は3年に1回のトリエンナーレで、春・夏・秋の3シーズンで延べ約100日間の開催です。ちなみに3年間というのは1100日ですが、芸術祭を開催していない残る1000日間の日常的な活動が芸術祭の開催を担保するため極めて重要なのです。現在もいろんな意味での活動が続いており、島で行われるちょっとした文化祭や運動会・道普請への参加なども、最終的には全部が芸術祭につながって、恒常的に島を元気にすることが目標です。

 そんななかでコロナ禍をはじめ、気候変動や移民・難民問題、資本主義が限界に来ているかもしれないことや格差の拡大、貧困問題などにも配慮していかなければならい。そうでなければお金持ちだけにちょっと良い観光地ということになりかねない。そうではなく、できるだけ多くの人たちが瀬戸内に行く、海を渡って島に行くということで自分の人生の来し方や行く末をリセットできる。これが海の持つ強い力であり、人間の日常性からのチェンジ、あるいは日常性を深く考えるためのきっかけにもなっていくと思うのです。

 ちなみに私たちは芸術祭の来訪者に対するアンケートを徹底して取ってきていますが、行こうと思った動機としては「現代美術の最高峰が見られる」や「瀬戸内の島に行ける」ことなどが主なものとして挙げられます。一方、芸術祭を実際に訪れて帰られる時のアンケートになると、決定的に重要なのは、「島の人たちと話せた」「島の料理を食べることができた」や「島の祭事に参加できた」などのコメントが「来て良かった」理由に大きく挙げられていることです。

 瀬戸内芸術祭のリピーター率は4割で、それは強力ですね。また3年に1回の来訪ではなく、恒常的なリピーターに変わりつつあるということですし、トリエンナーレとしての芸術祭のほか、「ART SETOUCHI」という毎年春・夏・秋開催のイベントも行っており、屋内作品の公開やアーティストによるワークショップ、イベント開催等で通年的な取り組みを展開しています。

 瀬戸内芸術祭は、美術館やギャラリーに美しい絵が飾ってあるようなものとはかなり違います。典型的なのは豊島美術館です。豊かな豊島の水をテーマにした美術館で、空間は作られていますが、彫刻や絵画等は一切ないなかで、水や風、豊かな自然等が感じられるというものです。

 また、地域との関わりという一例としては、空き家を使ってレストラン「島キッチン」を作りました。丸の内ホテルのシェフの指導で、島の食材を使った島のお母さんたちの料理を提供するもので人気スポットになりました。

 アーティストと地元の人々の関わりを通じて、島が開かれていくということもあります。例えば瀬戸大橋の開通で四国と本土の往来は便利になる一方、それまで島でつながっていた人たちの関係は完全に分断されてしまいました。あるアーティストはその問題に焦点を当てて、それぞれの島で網を編んでもらい、芸術祭の時にこれを全部集めてつなげました。この協働と交流は大いに盛り上がりました。つまりそれは1人のアーティストの作品ではなく、そこに関わったすべての人の作品となるのです。その重要なプロセスがこのアートにはあるのです。島の人たちが手伝うことで、作品はずっと面白くなるのです。また、アートは写真で見ても、その魅力は全く分かりません。そこに行き、時には汗もかいて体験することが重要です。

 私たちにとって持続可能な本当の観光というのは、行ってよし、来られてよし、そして島の人たちが元気になることです。それには、その土地に固有のものを、いろいろな形できちんとお伝えするということで取り組んできました。来年の芸術祭も相当に面白いものもできると思いますので、ぜひご期待ください。

きたがわ・ふらむ●1946年新潟県生まれ。東京芸術大学美術学部卒業。展覧会やコンサート、演劇の企画・制作に携わる。アートによる地域づくりの取り組みでも知られ、瀬戸内国際芸術祭のほか、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ、北アルプス国際芸術祭、奥能登国際芸術祭の総合ディレクターを務める。