2021年10月18日 8:00 AM
商店街の活性化は各地に共通の地域課題だ。旅に出ると意識してその地域の中心と呼ばれる商店街へ足を運ぶことにしている。俗にいうシャッター商店街は無数にあるが、その情景は何とも切ない。アーケードからぶら下がるすすけたあんどん型の看板、文字通り閉ざされたままのシャッター、静寂の中に鳴り響く歌謡曲のBGM。地方都市だけではない。いまや県庁所在地の駅前や東京や大阪のような大都市でもその光景を見るのは容易だ。
長い自粛で商店街の横軸に張り巡らされた昔ながらの横丁が立ち並ぶ飲食店エリアも破壊され、その巨大なゾーンがすっぽり地図から消えそうな場所が日本には無数にある。GoToトラベル同様、商店街のリモデルの機会となるはずだったGoTo商店街という政策もあったが、いつの間にか耳にすることもなくなってしまった。
2枚の写真がある。いずれも秋田の中心街。1枚は昭和50年代、秋田県の人口が128万人と一番多かった時代。道路と並走する商店街の歩道を埋め尽くす多くの若い人々。もう1枚はつい最近。アーケードはきれいに架け替えられ、車の侵入を禁止した広々とした商店街を歩く人はまばら。秋田県は日本で最も人口減少のスピードが速く、あと15年ほどで現在100万人弱の人口が70万人台にまで落ち込む。
大規模小売店のあるロードサイドに買い物がシフトしていくのが商店街衰退の原因といわれたのは過去の話。いまではロードサイドの大規模スーパーも退店が相次いでいる。課題は商店街がシャッターを閉ざしたことではない。人口が減り続け、それを止めることができないからだ。
成功している商店街もある。熱海の中心街は「熱海プリン」など若者の起業家が居抜きで商店街へと進出し、昔から店を構えていた人々も巻き込みながら観光客が集い歩くゾーンに再生した。谷中銀座などインバウンド客を含めまち歩きのスポットとして再生した商店街も数多い。
地の利ももちろんある。しかし成功している地域に共通するのは、減少する地域住民だけでは成り立たないので外から人に来てもらうと目的を明確にしたこと。それにより調整の難しい「よそ者排除」の風土やバリアが取り除かれ、プレイヤーも多様化し地域が活性化、誰もが訪れるのが楽しい雰囲気を醸し出すようになった。
一方で、なかなか活性化しないのは「昔ながらの商店街をこの地域の人たちだけでなんとかしよう」と定義してしまうケース。意欲ある若者が数人いても、立ちはだかるしきたりや規制が邪魔をして浮いてしまう。住む人が減っている以上、そこで働く人も、歩く人も外から来なければ成り立たないというのは簡単な話。だが、そこに思いを馳せることなく手法としての情報発信やイベントにとどまってしまう惜しい例も残念ながら数多い。「どこから、どういう人に、何人くらい来てほしい」という肝心な目標設定がないのだ。
世界に冠たるアパレル企業となったユニクロも、創業の地は山口県宇部市の商店街。「逃(に)げるは恥(はじ)だが役(やく)に立(た)つ」は大ヒットしたテレビドラマだが、実はこれはハンガリーのことわざで、いまいる環境にしがみつくのではなく、逃げることも選択肢に入れ、自分の得意なことが発揮できる場所に行こうという意味だ。
地域はそこから逃げることはできない。でもいまいる環境にとどまる必要は決してない。行動制限が解き放たれ、再び人の流れが起きるこの時に、まさかみんなで同じことをやろうとしてはいまいか。誰もが動画とSNSでプロモーションをし、オンラインツアーとオンライン予約を競うようなことにはならないだろうか。
高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。
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