単価を上げる
2021.09.20 08:00
原価は高く、原価率は低く。報酬は高く、人件費率は低く。これを実現するにはどうすればいい?そうスタッフに説くのは、鹿児島県の南霧島の森の中におよそゴルフ場9ホール分の広さを誇る「天空の森」を開拓した田島健夫さん。妙見温泉の湯治宿の主人だった田島さんは、地域文化を表象した温泉旅館「忘れの里雅叙苑」を創業し、その後、時間をみつけては長い年月をかけて天空の森を造り上げた。
その楽園はまだ開拓途中だが、森の中に5棟の温泉ヴィラが点在する。改造したオープンカースタイルのライドに乗り森を走ると、敷地内にはここかしこに棚田や野菜畑が広がり、薄暗い森には伐採した樹木の貯木場やキノコの栽培エリアが隠れ、池の周りには鴨が遊ぶ。食卓にのぼる地鶏はすべて自家牧場で放牧され、自家製の天然飼料で育てられた鶏だ。「ドレスコードは裸」とうたう、開放的な宿泊棟の写真ばかりが世に知られているが、それはこの宿のごく一面にすぎない。
しばらくスタッフは考えて、単価を上げるという答えに行きついた。
20年ほど前、もしかしたら私たちは道を誤り、原価も報酬も下げることで、実質単価を下げ、稼働率を上げるという道に迷い込んでしまった。稼働を上げることで利益を生む大型施設や都市部のホテルであればよい。しかし、地方の小さな宿泊業が、サービスを維持したまま、スタッフを減らし稼働を上げることは、ブラック化の道へと導きかねなかった。1泊20万円からという高単価でも天空の森は多くの外国人に支持され、国内ではJR九州のななつ星の指定宿になった。
恐らくこれだけ広大な土地に多くの職人を抱えれば、いくら単価は高くてもそれほど利益は出ていないと思う。しかし地元の農家や職人の方々の生活が維持できればそれでよいと田島さんは語る。
お客さまもなぜこの価格なのか、理解できる方だけが選ばれる。それは非日常な空間だけではなく、地域のコミュニティーや地産地消、無農薬の天然素材を使った料理といった価値にお金を支払っていることがわかり、写真に写るものだけで判断していないということだ。無農薬の野菜の葉は所々穴が開いているかもしれないし、地鶏はしっかりと歯ごたえがある。それは農薬を使い育ったきれいな野菜や、柔らかなブロイラーとは違う。
旅行者として地域に責任を持つというレスポンシブルツーリズムの流れは、日本では未成熟だが、欧米はじめ先進各国では広がりを見せつつある。ポストコロナに地方宿泊業が地域の中で存在価値を高めていくとすれば、原価と報酬を上げていく天空の森と同じ道を歩み始めるのが理想だ。最多人口世代がデフレ世代にバトンタッチするアフターコロナ。消費性向は二分化していくだろう。
その頃、天空の森では専用ヘリでのチェックインがデフォルトになっている。
井門隆夫●高崎経済大学地域政策学部教授。旅行会社と観光シンクタンクを経て、旅館業のイノベーションを支援する井門観光研究所を設立。16年より高崎経済大学地域政策学部観光政策学科准教授。19年4月から現職。将来、旅館業を承継・起業したい人材の育成も行っている。
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