ケンサクとセンタク

2021.09.20 08:00

 人々のメディア接触の動向を調査する「メディア定点調査」(博報堂DYメディアパートナーズメディア環境研究所)によると、21年の1日当たり(週平均)メディア総接触時間は昨年から39.2分伸びて450.9分と06年の調査開始以来過去最高となった。

 ここでいう「メディア」とはテレビ・新聞・雑誌・パソコン・タブレット端末・携帯電話/スマートフォン。ステイホームを反映して近年低落傾向だったテレビも150分と伸長し09年とほぼ同等となったが、全体を押し上げているのは「携帯電話/スマートフォン」の139.2分。1年前より18分伸びた。ちなみに調査を開始した06年にはわずか11分で11年でも32分。わずか10年の間にスマホがいかに世の中を変えたかを物語っている。

 ガラケーの時代には携帯電話は専ら通信機器として認識されていて、そもそもメディアではなかった。それがいまや見逃したテレビ番組を見たり映画を見たり、動画を撮影し編集したり、連絡先のわからない昔の知人を見つけ出し、一度も出会ったことのない人々とリアルさながらに交流ができるようになる日が来ることを15年前にどれくらいの人が予想していただろう。

 メディアとなったスマホは外出時だけではなく常時アクセスする存在へと変わり、何かを知りたい、行きたい、買いたいと思った時に最初に向き合うものになり、放送局でもないのに個人から個人へと番組や情報を発するようになった。その小さな画面の中の情報や映像の洪水がすべての人の流れを左右する。いまではその人の流れの把握に使われるのもスマホのデータだ。

 スマホがなかった時代、旅に出よう、ここに行こうと思うきっかけはなんだったのだろう。旅行雑誌やテレビの旅番組、誰かの体験談を聞いて思いを膨らませたか。旅行会社のカウンターに貼ってあるポスターの風景にハッとし、その風景に出会うことを夢見たか。もう、とうに失ってしまい思い出すことすらできない感覚。その感覚こそがツーリズムの原点であるような気がする。

 1970年に当時の国鉄が始めた「ディスカバー・ジャパン」。64年の五輪に合わせて東海道新幹線が開業し、大量輸送とマスツーリズムの幕開けとなった大阪万博直後に狙いを定めて始めたキャンペーンは、この原点の王道だった。サブタイトルは「美しい日本と私」。特定の観光地ではなく、当時はあまりメジャーではなかった日本の各地がフォーカスされた。ファッショナブルな若い女性が妻籠や馬籠、萩・津和野などの小京都を歩くポスターが日本各地の駅に貼られ、ファッション誌が旅雑誌と化し、アンノン族なる言葉が生み出された。主要駅にしかなかった駅スタンプが全国の駅に置かれたのも、特定のエリアを自由に回れるミニ周遊券が発売されたのもこの時である。

 こんなところにまで観光客が、というのを体感した日本の個人旅行のはしり。当時活況に沸いた観光地の多くはいま見る影もない。そこに助け舟を出してくれた訪日外国人も消滅してしまった。再び起こることは間違いないであろうコロナ後の観光のリバウンドは、かつてと同じには絶対にならない。旅に出るきっかけも、行き先を選ぶのも、予約も、その後の旅の体験を語ることも、すべてスマホの画面から始まり、終わるということがさらに明白になってしまったからだ。

 テレビやポスターとスマホが大きく異なるのは、意図せず目に飛び込んでくるものの有無。スマホでは自分が無関心な情報は徹底的に排除される。知りたいことはすべて検索から始まる。だから検索(ケンサク)されなければ選択(センタク)されることは永遠にない。あなたの地域は、サービスは、商品は検索されているか。それを気にしているだろうか。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。

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