うそはつかない

2021.05.24 08:00

 視座の連載も100稿を超えた。恐れ多くも当時のJTB佐々木隆会長からの「引き継ぎ」で、そんなにネタがあるかなあ、と呟く私に「高橋君、大丈夫だよ。僕なんか1年分まとめて書いちゃったよ」と豪快におっしゃっていたのを思い出す。最近は書き進めるうちに前に書いたフレーズのような気がしてアーカイブを検索することが多くなった。自分の引き出しの少なさを痛感するが、新たな引き出しを探す作業は楽しくもある。しかし昨年の拙稿をあらためて振り返っても、コロナとそれに振り回される人間の所作を皮肉るうちに過ぎてしまった1年だった。

 1年以上にわたる長い間、人が動き出会うことを封じられた時、どのような心理状況と行動に陥るのか。そしてそこで失われたもののリカバリーがいかに難しいか。その部分には依然誰も正面から向き合わず、あるいは向き合うことを諦める人が増えていく。日本の地域経済は残念ながら予想したとおりの悲劇を迎えつつある。あるいは、予想以上の大きさと速さで。

 東日本大震災や熊本地震、西日本の豪雨災害直後に入った各地で目にしたのは人間の力強さだった。建物を建て直し、わずかに残った種や資産を使い仕事を取り戻そうと奮闘した。多くを失いながらも、地域に根付く歴史や文化を少しでもつないでいこうと汗をかいた。新たな販路を開拓し、新たな市場へと打って出るための新たな出会いが作られ、いくつかは実を結んだ。

 最初は目を向ける人が多くはなかったインバウンドへのシフトは、実態として目に見えて地域経済を潤すことがわかるにつれて急速に進んだ。誰もがカタコトで外国語を話し、指差し会話集を作り、海外へ出ていっては地域の魅力をアピールするようになった。多くの外国人も自ら日本で現場に立った。震災と復興、そして五輪へとつなぐ10年は、日本のツーリズムを面的にダイナミックに、旅人をマスから個へ、プレイヤーを旅行会社から地域へ、旅を発から着へと変革していく大きな流れを作る大転換の10年。その総括もできず実感すら消え去ろうとしているいまが、目に見えないナニカに翻弄されているだけに過ぎないのは悔しい。もはや歴史の検証に委ねざるを得ないのかもしれない。

 ところで20年の訪日外国人は約411万人。前年比87%減、月によってはほぼゼロという数字はショッキングだ。しかし411万という数字をあらためてみると1998年と同水準。東日本大震災のあった2011年の611万人、東アジアを新型インフルが襲った09年の679万人の7割程度の数を確保していることになる。

 実際にはコロナ禍前の1月だけで半分以上の250万人超だから、そこは考慮する必要がある。それでも月に万単位の外国人は必要があって日本にいまも来ている。逆に言うと、09年にわれわれが訪日外国人と呼んでいた679万人には相当数そうした人が含まれていたはずだ。大きなキャリーバックを下げ、乗り放題のレールパスを携えて日本中を闊歩する、そんなイメージではないのかもしれない。ちなみに09年のJRジャパン・レールパスの発売枚数(JR東日本取り扱い分)は約22万枚。わずか3%に過ぎない。

 いまでも首都圏のコンビニ店員のほとんどは外国人留学生。東京には約60万人の外国人が住んでいる。マクロの数字でなくて、ピンポイントでさまざまなデータをきちんと見ると打ち手は結構見えてくる。

 コロナ禍で実感したわれわれの弱さは数字への弱さでもあった。情と雰囲気、増えた減ったに惑わされ。数字は決して嘘(うそ)はつかない。嘘をつくのはそれを操る人間だ。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。

関連キーワード