いまよりゆたか

2021.03.22 08:00

 山形県酒田市。ここでは3月からの1カ月間、街中がお雛さまであふれる。特に「傘福」と呼ばれる傘の先に幕をめぐらした天蓋から吊るされるものは圧巻だ。日本海側の庄内地方にこのお雛さま文化が根付き、いまでも多くの人を集める伝統行事の歴史は江戸時代にさかのぼる。

 酒田は最上川下流にあり、多くの米を蓄え各地へ売りさばく豪商が育った。彼らは北前船で京都や大阪へ米を売る代わりに雅な文化を手に入れた。豪商たちは自らの家をさらに豪華に見せるために競って多くの雛人形を仕入れたという。庄内弁は京ことばに似た発音のものが多数あり、700km以上離れたこの町がモノの流れとそれを運ぶ船によって結ばれていたことを物語る。

 京料理では「煮る」を「炊く」と言うが、千葉県銚子市でも魚を煮ることを「炊く」と言う。日本で最も1人当たりの昆布消費量が多いのは富山県だが、富山では昆布は獲れない。北前船で富山の薬と交換されたのが北海道の昆布だった。こうして新幹線も高速道路もなかった江戸時代の日本地図を、川と海だけでどこがどうつながっているかを考えるのは楽しい。

 言うまでもなく江戸時代は鎖国をしていた日本。長い間世界に後れを取り、ペリー来航で国を開き、近代国家への歩みを進めたと誰もが学校で教わった。しかし、どうもそうではなかったようだ。海と川は国内のさまざまな地域をつなぎ、その地ならではの特産品を各地に知らしめ、地域独自の文化や料理が磨き上げられた。「信濃町」「仙台坂」。江戸城の周りに置かれた各藩の屋敷はいまでも東京の地名にその名残を残す。街道と宿場が整備され、参勤交代は都と地方との定例交流会の役目を果たした。

 海外への窓口も閉ざされていたわけではなかった。出島、対馬、薩摩、松前を通じて西洋、中国、朝鮮、琉球、アイヌとの交流は常に行われ、多様な文化は限られた拠点をスタートに国内各地へ伝播していく。かかる時間はともかく、必要なものが必要な場所にきちんともたらされていた時代。むしろ有用か無用かの判断がつかない大量の情報と、あふれかえるモノを選びきれないいまより豊(ゆた)かだったかもしれない。

 出島へはモノだけでなく学問も海外から持ち込まれた。西洋医学は代表例で、当時流行していた外来種のウイルス感染症、天然痘の治療法としてのワクチンも1823年にシーボルトが持ち込んだものだという。この最初のワクチン、出島で西洋医学を学んだ緒方洪庵によって大阪へと伝わり、最初の接種所ができる。

 しかし、これが牛の種痘を使用したものだったことから「打つと牛になる」などの迷信がはびこったり、もぐりの接種業者が現れたりと最初の普及にはかなり苦労したようだ。その後、接種所の幕府による免許制度ができ最終的には国内に約200カ所で接種を行うようになった。

 そもそも「ワクチン」の語源はラテン語のVariolae vaccinae(牛痘)。1798年に英のエドワード・ジェンナーが牛痘を人間に接種することで天然痘を予防できると実証したことに由来する(ワクチンファクトブック2020/米国研究製薬工業協会)。天然痘撲滅は1980年。長いことかかった。

 この地で生きていること。そこで享受しているモノもコトもすべては日本中、いや世界中のどこかの誰かの何かの行動の連鎖だ。いまわれわれは鎖国時代にすら経験していないことをしている。ワクチンに対するさまざまな報道はまるで「牛になる」話のようだ。国を閉じ、地域同士の移動と交流を断つ。できるだけ黙る、封じ込める。耳障りはいいけれど、実は豊かだった江戸時代より前に戻るようなことなのだが。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。

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