クロースコンタクト

2021.02.22 08:00

 昨年の1月は米国、フランスと立て続けに海外へ、2月はドイツ、3月も稼働させたMaaSサービスの仕事などで頻繁に国内外のあちこちに出張していた。

 あらためて昨年の手帳で自分の日常を省みると、いまとのギャップは計り知れない。そもそも、年末や年始の挨拶まわりや賀詞交換会といった良くも悪くも日本だけに訪れるカレンダーイヤー独自の行事はほぼすべてなくなった。役員一同うやうやしく頭をたれて商売繁盛を祈ることも、その後門前の料理屋で1年の計を立てつつ酒を飲むこともなくなった。だから今年の手帳は驚くほど白い。昨年にはなく新たに登場したのはオンライン会議を表す「Z」と、在宅勤務の「TW」の記号くらいだ。年賀状を控える企業も増え、いただくカレンダーの数も激減した。

 日本のこの習慣が元旦だけが休みの海外諸国との生産性の差に表れていると思わないのでもないが、ないならないで寂しいものだ。旅に出ることもできず、従来あるはずの楽しみはほとんど奪われてしまった日常と引き換えに私たちが手にしたものは何だったのだろうか。

 案の定、ニューノーマルという言葉は定着しなかった。しかし常時マスクをし、会話を控え、寒い中でも電車の窓が開いていることが完全に日常になった。夜の予定のやりくりに苦労することはなく、予定を入れたところで飲む場所もない。震災後から行きつけていた、東北の旅館が経営する都内の飲食店のいくつかは店を閉じた。六本木や赤坂の裏通りは夜歩くとすでに東京とは思えないくらいさびれている。歩く人もいないが、もちろん報道もされないからひっそり消えていく店の数はわからない。国のセーフティーネットのおかげで倒産こそ増えていないが、昨年休廃業・解散した企業は約5万件、前年比14.6%増で過去最高という(TSR調べ)。

 日通旅行の解散の報に触れ世のはかなさを思う。海外旅行のファーストブランドの1つ、ルックの最初の共同主催者だ。人より先に世界中を飛び回ってきたモノの流れに人の流れをつけるところから始まったビジネスですら自ら終止符を打つ。もう時計の針の逆回転は期待できない。

 自粛で救えた命もあっただろう。昨年上期の日本の超過死亡数は3年ぶりに減少、つまりコロナ禍にもかかわらず亡くなった方は総じて減っている。それに比べ無念にも自らの志を断念せざるを得ない方が増えるのは残酷にもこれからだ。

 台風や大雪のTV中継が影響の有無にかかわらず新宿駅前から行われるように、メディアに出てくるのはいつも象徴的な場所だけだ。北から南まで、いま観光で生きる地域をリレー中継してみたら、想像を絶する光景になるに違いない。それを知る術もなくただ時間だけが過ぎていく。

 1月の月末の土曜、鬼怒川温泉を歩いた。駅前に人影は皆無。いくつかの旅館は期限のない休業を選択していた。飲食店や土産物屋も多くは休業、すでに店を閉じた貸店舗の貼り紙が並ぶ光景が痛々しい。何とか地域に元気を、と運休せず走っている東武鉄道のSLの汽笛が静けさに包まれた街にこだまする。こちらも乗客はまばら。「わざわざ会いに来てくれるのが何より」。地域の方々にそう言われ続けたことが私の力の源であったと実感する。若い頃、師と仰ぐ方には「とにかく顔を出す」ことがこの仕事の基本だと教えていただいた。でも会うことすらできない。

 濃厚接触(クロースコンタクト)。嫌な言葉になってしまった。人は人と出会い、意気投合した誰かと濃厚に接触することで自らと相手の人生を豊かにするものだ。それを自ら封じてどうするのだ、と私が私に叫んでる。大粒の涙を流しながら。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。

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