Travel Journal Online

コロナに思う言葉の現象化

2020年7月6日 8:00 AM

 「ウィズ・コロナ」。市民権を得たようだが、気持ちの悪い表現だ。英語圏の報道や論文では「COVID-19に罹患した」を表すが、「コロナとともに生き、新しい日常をつくる」という意味で上書きされた。ワクチンや治療薬が登場しない限り、この社会は以前のような日常へ戻ることは不可能という。何とも手厳しい。ここ数カ月の間に見てきた、人が消えた繁華街、闊歩する自粛ポリスにネット上の正義マン。そして、強い同調圧力がドカッとのしかかり、あたかも令和のディストピアが完成したかのようだ。

 今般のコロナ禍でさまざまなカタカナ英語の造語が生まれている。かつて英語をファッションのように使う時代があった。しかしいまはさまざまな議論のなかで駆使することが不可欠になったようだ。場所取りの熱心さから声高に自らの存在を誇示しているように映り、やはり気持ちが悪い。

 観光分野ではこれまでも、さまざまな主体による「〇〇ツーリズム」が乱発され辟易としていたところ、今度は「マイクロツーリズム」なる言葉が創られた。表現はともかく中身は普通のことで、それを言い続けることで窮地からの脱出を試みようとしている。気概は伝わる。とはいえ業界を代表するかのような押し付けがましさを疑問視する宿泊事業者は少なくない。

 全国の宿泊事業者のうち圧倒的多数を占めるのは、従業員数30人未満の小規模所帯である。それらはこれまでも地元とともにあった。地元在住者を対象とした宿泊補助施策に多くの県民が反応したのは単なるお得感やコロナ疲れの反動だけでない。そこには愛があふれ、激励の気持ちが詰まっている。以前の日常における地域との関係性が、相対的に「新たな日常」の夜明けで浮かび上がったかに見える様は興味深い。

 宿泊業はここ十数年、外野に翻弄され続け気の毒だ。当惑しつつも視線を「外」へ向けさせるさまざまなうねりを受け入れたところでのコロナ禍である。ただ、これらの変化を受け入れるなかで、逆説的に譲れないことや守るべきものが把握できたのではないか。それで何を変えなければいけないかが見えてくるのであれば、今般の強烈な一撃に対する受け身の仕方は変わるかもしれない。ただ、現場は想像を圧倒的に上回る苦労を強いられている。国などの支援策が一部大企業が富むために割かれることなく、強くない立場へ十分行き届くよう取り計らわれたい。

 さて、旅行会社は新たな日常でどういう役割を果たすのか。深刻な打撃を受けている事業パートナーを慮り、大手からいつ新たな動きが出てくるのかと期待しているが存在感はない。今度の波は大しけと観ていたが、デジタル変革の波と同様、深刻に捉えていないのだろうか。受け身の代理業へとコアサービスがGo Backしてしまい、そこへ安住する気配が漂う。

 コロナ自粛による番組制作の行き詰まりで再放送が増えたテレビで、懐かしいドラマが評判を呼んだ。「愛していると言ってくれ」。言葉という壁を超え、気持ちをぶつけあいながら愛を育む2人。その姿に多くの視聴者が時を超えて感動した。本放送は阪神大震災・地下鉄サリン事件が発生した1995年の夏だった。日本中が不安に苛まれるところ、当時そしていま、多くの人がドラマの中に求めたものは同じだったのだろう。

 先行きの不透明さが圧倒的に増す状況で、旅行業という現実において働く誰もが不安ななか、サービスやプロダクト、そして会社への愛を育めるか。「愛していると言ってくれ」と伝えてそれが現象化すると高をくくっているなら、ドラマの見過ぎだ。従業員を愛しく思うなら、「幸せ」と言わせてみよ。それで初めて義理が立つものだ。

神田達哉●サービス連合情報総研業務執行理事・事務局長。同志社大学卒業後、旅行会社で法人営業や企画・販売促進業務に従事。企業内労組専従役員を経て、ツーリズム関連産業別労組の役員に選出。18年1月から現職。日本国際観光学会第28期理事。