人間万事塞翁が馬

2020.04.13 08:00

 新型コロナウイルス感染症の猛威が世界中で広がっている。アジアのみならず、米国・欧州・豪州、そしていまや世界中が鎖国状態となっている。わが国でも政府要請により感染予防のため、小・中・高等学校のほとんどが休校した。厚生労働省は感染者の小規模集団「クラスター」分布を示す全国マップまで作り、密閉空間での大規模集会等の開催自粛を要請している。

 日本はまだ緩い。目下世界中の人々が旅行はもちろん外出すら制限され、各国政府は水際作戦として渡航禁止や入国時2週間等の隔離政策をとる。訪日ツーリズム産業は他産業同様、いやどの産業以上に深刻なダメージを受け、リーマンショック時を超えるほどのマイナスのインパクトに直面する。実際、日々国内外の友人知人からニュースより生々しく悲痛な状況報告が直接寄せられる。インバウンドは壊滅しつつある。

 「人間万事塞翁が馬」という、中国の前漢時代の『淮南子(えなんじ)』という書物に由来する有名な故事成語がある。辞書を引けば、おおむね次のような意味(教え)となる。「人生における幸不幸は人間の予測を超えている。幸福は不幸に、不幸は幸福にいつ転じるか分からない。目先の状況だけで一喜一憂するものではない」というものだ。このコロナ禍の最中、私の脳裏にはしばしばこの故事成語が浮かんだ。

 原典の物語は次のとおりだ。「塞=国境の砦近くに占い術に精通する老人がいた。ある日老人の馬が胡(異民族の国)に逃げた。人々は慰めた。老人は言った。これは幸運の兆しだと。数カ月後、その馬は胡の駿馬を連れて戻った。人々は祝福した。老人は言った。これは禍の兆しだ。老人の家では良馬が繁殖した。老人の息子は乗馬を好み、乗馬中に落馬して太腿の骨を折った。砦の人々がお見舞いに来た。老人は言った。むしろこれは幸運の兆しである。1年後、胡が大群で攻めてきた。迎撃戦で身体の丈夫な9割の人々は戦死した。足の不自由な息子は戦いを免れ老人と息子は生き延びた」。まさに幸運は不運の種となり不運は幸運の種となる。

 長々と故事を引用したのは、このストーリーが、まさにわが国の観光立国の歴史、インバウンドの栄枯盛衰を鏡のように映していると思えたからだ。03年のビジット・ジャパン・キャンペーン以来、日本のインバウンド市場は着実に伸びてきた。ところが、11年の東日本大震災で訪日市場は壊滅する。震災復興を目指し政府は訪日ビザの発給条件緩和やビザ免除を積極的に行い、14年10月には免税制度も改正され、15年には「爆買い」という流行語を生み出すほどインバウンドはブレイクしてバブル化した。民間もインバウンドの上げ潮の中で狂奔した。18年6月には民泊新法が施行され安宿も乱立した。オーバーツーリズム(観光公害)の弊害も生まれた。日韓問題が影を差しつつも誰もがインバウンド市場の明るい未来を無邪気に信じていた。そして20年の五輪に向け全国各地でのホテル建設ラッシュの最中、今回のコロナ禍が日本を、世界を襲った。

 まさに「禍福は糾(あざな)える縄の如し」である。上述したとおり、幸福の絶頂の中に不幸の兆しがあり、不幸の中に幸福の種が宿る。インバウンドが壊滅している現在の状況下で、われわれは明日が見えない暗い霧の中にいる。しかし世界を眺めれば、封鎖された都市の屋内で人々のIT親和性は劇的にレベルアップし、5Gの通信環境下でライフスタイルが変わる。ポストコロナの時代に人々は不要不急の漠然としたレジャーから離れ、“わざわざ旅するだけの魅力”を旅先に求めるようになるだろう。苦境を克服しイノベーションを生み出した人々には、幸運の未来が待っている。

中村好明●日本インバウンド連合会(JIF)理事長。1963年生まれ。ドン・キホーテ(現PPIHグループ)傘下のジャパンインバウンドソリューションズ社長を経て、現在JIF理事長として官民のインバウンド振興支援に従事。ハリウッド大学大学院客員教授、全国免税店協会副会長。

関連キーワード