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経営共創基盤の冨山和彦CEOが語る破壊的イノベーションと両利きの経営

2020年4月13日 12:00 AM

JATA(日本旅行業協会)は2月21日、JATA経営フォーラムを開き、経営共創基盤(IGPI)の冨山和彦代表取締役CEOが基調講演で、GAFAの台頭など破壊的イノベーションが起きるいまの時代に求められる両利きの経営について語った。

 両利きの経営とは、現実の経営として破壊的イノベーションをどうやって成長のエンジンに変えられるのかという話です。現在のビジネス環境においてグローバル化とデジタル革命は重要なキーワードですが、日本企業が過去、うまく対応できたかというと厳しい評価をせざるをえません。

 例えば、世界の時価総額ランキングでは、トップテンに平成元年(1989年)には7社が名を連ねていましたが、平成最後の年(2018年)には1社も該当しませんでした。

 ただ、古くて大きな会社が苦戦したのは日本企業固有の問題ではありません。18年は2位がアマゾン・ドットコム、3位がグーグルのアルファベット、5位がフェイスブックと、5社が平成にできた比較的新しい会社です。

 米国もIBMやゼネラル・エレクトリック、ゼネラルモーターズといった大きな製造業の企業が上位でしたが、新しい会社に移り変わっていきました。

 破壊的イノベーションの影響を受けた企業群は何が起きていたのか分からず、的確に対応できなかったのが現状です。

冷静に見つめること

 まずデジタル革命の流れは、1980年代のコンピュータ産業の話から始まります。もともとIBMはGAFAどころじゃないくらい強い企業でしたが、80年代の終わりにはつぶれそうになります。ものの半年くらいで倒産寸前に追い込まれたのは、大きくビジネス環境が変わったからです。

 70年代にはIBM自身がパーソナルコンピューティングの概念を提唱しますが、この波にうまく乗れませんでした。というのも、IBMのメインフレームの人たちにすると、当時のパーソナルコンピュータは言ってしまえば、おもちゃのようなものでした。OSも半導体もほとんどすべてを外注したのですが、その外注先がマイクロソフトとインテルでした。そしてパーソナルコンピューティングの時代が本当に到来して、IBMはいつの間にかこの2社に追い込まれたのです。

 90年代に入ると、インターネットとモバイル革命が起きて第2段階に移り、企業がまた入れ替わり、いつの間にかGAFAが台頭していました。

 第1段階と第2段階で起きたことの難しさは、何が発明されるかは予測できたけれど、それでどういう競争や産業構造になるのかは予測できないことです。破壊的という言葉の本質はそこにある。実際、当時からいろいろな方が業界の将来を予想していますが、大体は的を射ていません。

 技術とビジネスモデルは全然違います。スマートフォン、テレビ電話、PCは概念自体はずっとありました。ですから、発明とビジネスがどうなるかは全然違います。その観点から起きていることを冷静に見つめた方がいい。こうなるぞと決めつけて経営するのはむしろ危険です。

 いろいろなことが起き、発明されることに対し、冷静に見つめるのが、経営者に求められると思っています。

なぜ新領域に踏み出せないのか

 製造業では自社で組み立てをしないファブレスの概念が出てきて、2000年前後には半導体にもその流れがきました。グローバル化で低賃金化が進み、商品がクオリティ化して差別化しにくい状況がおきました。

 この流れは明らかだったのですが、企業にとってはファブレスに移行するのは、後工程で働いている従業員を事業とセットで売却するということ。当時、半導体は電機メーカーの中心的な事業でした。日本の半導体産業を盛り上げた功労者の人たちを台湾の企業で働いてほしいというのは、頭で分かっていてもなかなかできませんでした。

 結局は、台湾企業との合弁事業を立ち上げ、最終的に10年かけて移行していくような選択を取りました。ファブレスの目途が立ったと、その時はそこで話が終わりますが、結局はことごとく失敗しました。

 要するに、環境の変化に少しずつ対応することを許さなかったということです。経営者が破壊的イノベーションに対峙した時、ある意味分かっている変化だけれど、その変化のスピードに合わせて戦略を回せるかが問われているということです。

 日本の電機メーカーや自動車産業の意思決定はどちらかといえば、ボトムアップ型・コンセンサス型でしたが、連続的な環境の変化や、改良改善の時代には相性が合いました。

 しかし、これではファブレスの議論はできませんし、同じような悲劇が製造業でいうと繰り返されてきました。せっかく技術的な発明で世界に先行し、産業自体は大きくなったのに、リーダーシップのあり方が時代に合わなくなってしまいました。こうしたことは液晶産業にも起きており、これはある意味、日本型のリーダーシップにデジタルとグローバルの時代において相性が悪かったのが底流にあるといえそうです。

 一方、もともとの技術が跡形もなくなることはありません。アップルの携帯電話は日本の技術を使っていますし、かなりの部分で伝統的なハード技術は使っているのです。

 これはリクルートが出版業からインターネットベースの企業に変化した事象ともつながります。コアの力である営業力を変えず、旅館やホテルとの関係を続け、コミュニケーションし商品をつくりあげていきました。そして紙からインターネットへのピボットに成功したのです。

 つまり破壊的イノベーションは何もかもが跡形もなくなるわけでなく、続くものと変わるものの組み合わせということです。破壊と創造、深化と探索をうまくパッケージしていくことが大切だと、理論的にはそうなります。

 どうして古い企業は新たな領域・事業の開拓がなかなかできないのでしょうか。例えば、製造業ですと既存の技術部門は、新しい技術に対して、100%といってもいいほどネガティブな顔をします。そして5年後にそれに破壊されているケースがあります。どうしてか。1つはいま技術を使っている人は欠点がないことを重要視するこということ。新たな技術は欠陥だらけに見えてしまいますが、ベンチャーの技術は長所で戦いにきており、まったくそこが違います。

 もう1つは既存事業者はある古い技術を更新していく一方、例えばベンチャーの若者は全く新しいパラダイムを使ってきます。質の良いカセットテープを一生懸命作っていても、CDが普及すれば絶対に勝てないということです。また、往々にして新しい技術をライバル視してしまうということもあります。

 創造、探索的な領域は、既存事業を長年やっている企業にとってみれば、組織文化や人間の本性に近いところで拒否反応が出てきます。極端な話、共存させるにはトップ自身が関与するしかないということになるのですが。

デジタルは新たなフェーズに

 一方、現在のデジタル革命ですが、だいぶフェーズが変わってきました。自動運転は2000年初めには16~17年になればカルフォルニア州では運転手のいない車が走りまくっていると言われていましたが、もちろんいまでも人が乗っています。

 なぜか。それは、いままでのバーチャル-カジュアルと、リアル-シリアスの世界は大きく異なるからです。これまでは人はけがをしませんでしたし、死ぬことはありませんでした。

 旅行業界も当初思っていた展開とはすでに違っています。一時期はエクスペディアが世界中のホテルを自分でやるんじゃないかと思われていました。しかし、そうなっていません。旅館やホテルもリアルですから、そこに行かなければなりませんし、結局は手を出せませんでした。

 一方、個々の旅館やホテルにすると、これまでは世界中からの集客は世界的なチェーンに入るしかありませんでした。しかし、いろいろなチャネルから存在感が伝わるようになりました。こうした流れを受けて、チェーンの優位性は薄れ、それほど規模が大きくなれず減速する企業もあります。

 サービス業はリアルでは規模型でも小さくても、きらりと光っていても勝ち残れる時代といえるでしょう。

 GAFAはある種のインフラになりましたが、使い倒せばいいと思います。ITやAIの開発は過当競争気味で、さまざまなツールを安く使うこともできるようになりました。言い換えれば使い倒す技量を持つべきということです。

 バーチャルがリアル-シリアスのフェーズに移ってきたのは、グッドニュースです。メガプラットフォーマーはバーチャルで人を集め、データが集まる方向性でしたが、リアル-シリアスのフェーズだとネットとリアルの世界は本質的に異なってくるからです。

 両利きの経営はこういう時代なので、まずはいまやっている事業を深めて収益をしっかり出すのが大切ということです。これは改良型イノベーションです。旅行業は接客業がベースなので、添乗員や接客、旅館の女将の対応で決まります。これは同質的、連続的組織特性と相性がいいでしょう。一方で、30年ほど前から破壊的イノベーションが勃興し、既存事業で得た収益をしっかり新たな領域や事業に投資していく必要が出てきました。探索シーズが深化領域の再成長を促す可能性もあります。

 つまりハイブリット型の経営力、両利きの経営力が求められているということです。相反する組織能力の共存共栄・資源配分、トレードオフを克服するリーダーシップが求められているのです。破壊的イノベーションには多様性や非連続性が相性がよく、日本の基幹産業たりえるインバウンドに後押しされ、旅行業界の人材は多様化が進んでおり、新たなビジネスにシフトする力もあるかと思っています。

とやま・かずひこ●東京大学法学部卒業後、スタンフォード大学経営学修士取得、同時に司法試験合格。コーポレイトディレクション代表取締役などを経て、03年に産業再生機構COOに就任し、解散後に07年経営共創基盤を設立。