ツアーガイドではなくコンダクターと呼ぶのは

2019.09.23 08:00

 東京駅の在来線から新幹線へと乗り換える改札口。多くの人が自動改札を秒速で通過するなかで、時として少し淀んだ空間が出現する。自動改札横の専用ゲートを開け、隊列を組んで通り抜ける団体客だ。教育旅行の一団や、旗を持った添乗員にキャリーケースを引きながらゆっくりと続くツアー客。シーズンともなれば自動改札前でまごつく個人のお客さまがこれに乗じて、改札周辺が若干カオスな状態になる。

 いつもながら申し訳ないと思う。海外旅行の飛行機利用のツアーのほとんどが個人チェックインになっているのに、いまだに鉄道のチケットは団体で発行すると1枚の団体乗車券を手にしたリーダーの後に隊列を組んで進まなければならない。

 個人のお客さまがモバイル端末やIC乗車券で軽やかに自動改札口を通り抜ける時代に、ここだけがかつてのマスツーリズム時代の光景そのものだ。もっとも、紙の切符で自動改札を通過すること自体がなくなる日もそう遠くはないだろう。旅行会社の栄華の名残といえば少しは柔らかな視線を送ることもできようか。

 しかしながら、今のこの光景は私が記憶にとどめている昔のそれとは少し違う気がする。たとえば、教育旅行であれば10クラスはざらにあった時代、添乗員は乗車する号車の順序や階段の位置に配慮しながらクラスごとに順番を組み立て、反対列車の入線時刻も気にしながら、時としてわざわざ遠回りの動線をたどってホームへ上がっていた。先頭をただ歩くだけでなく、常に隊列の後ろがどこにあるかを気にしていた。

 途中駅から乗車するときは、乗り込む先頭の生徒に「とりあえず車両の中まで突っ走れ」と気合をかけて、短い停車時間の車内で滞留しないようにしたりもしていた。いま、東京駅や京都駅などでそんな「気合をかける添乗員」の姿は少ない。パッケージツアーでいえば、例えば発車数分前にしかドアの開かない新幹線の炎天下のホームに、20分も前からご案内していることがある。その意味はどこにあるのだろう。

 宿と足、旅行のパーツの手配が個人のスマホでできるようになっても、それだけで快適な旅ができるとは限らない。駅からバスに乗り換えるために一番近い出口、行列せずにおいしい食事にありつける予約、待機することなく停められる駐車場、重い荷物から解放される方法、坂の上まで車で上がり降りてくるように歩いたら楽だ、といった寺社歩きのコツ。それらは今や口コミと知恵袋サイトが頼りだが、圧倒的に正確でない。行き当たりばったりの旅も悪くないけれど、見たいものを見られなかったり、無駄に待ち時間が長かったり、やたら長い距離を歩かされたり。スマホで手配した旅のパーツの間には、まだたくさんのつながっていないピースが隠れている。

 このピースをきちんと探し当て、1つのつながりある旅に仕立て上げる仕事をする人が少なくなった。パッケージツアーがスケルトンになって、パンフレットの行程表上は「お客さま負担」としか書けないパーツとパーツの間のピース。そんなことを繰り返すうちに、旅行会社の強みだったはずのノウハウがまた消えていく。

 日本で添乗員をツアーガイドではなくコンダクター(指揮者)と呼ぶのは、羊飼いのごとく雑踏の中で自らの群れを迷うことなくまとめあげ、流れるように快適に円滑に動かす力が必要だからだ。飼い主の言うことを聞かないさまよえる子羊が野に放たれ、思いがけない体力を使って疲れてしまうさまがオーバーツーリズム現象と重なる。あふれた羊たちを正しく快適に、今日も元気に草を食べてもらい、目的地へと誘う。その奥深い仕事はなくなってしまうのだろうか。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役営業本部長 チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。