京都で考えた、観光公害の問題の本質とは何だろう

2019.05.20 08:00

 この春、桜満開の季節に京都を訪問し、東山の清水寺界隈を視察した。いずこもすさまじい人波だった。まるで明治神宮の初詣の雑踏並みだ。国内客より訪日客が断然多い。そもそも京都駅から清水寺に向かう車内で運転手に「訪日客を乗せない日はないでしょう」と話しかけたら、「もちろん。でも、むしろ日本人を乗せる機会のほうが極端に少ないですよ。乗客は毎日ほぼ外人さん。なにしろ国内客を乗せて日本語で会話できるとほっとするくらいですよ」とぼやかれた。清水寺門前のはるか手前でタクシーは立ち往生し、やむなく途中下車して歩いた。

 訪日客が年間3000万人を超え、京都をはじめ全国で観光公害に関する報道も頻度高く目や耳に届くようになった。特定の時期に地域の許容度を超えた人数の観光客が押し寄せれば、地域の住民にはさまざまな不都合が発生する。インバウンド隆盛以前の国内でも、桜や紅葉の季節に普通に起きていたことだ。これに訪日需要が加わり、その負荷の度合いが格段に高まった。

 すでに何年も前から、スペインのバルセロナやポルトガルのリスボン、イタリアのベネチアなどの国際観光都市では、こうした観光公害の問題が大きな社会問題となってきた。日本でも京都をはじめ、各地の観光地で社会問題としてクローズアップされつつある。では、観光公害の問題の本質は何なのだろう。現象面としては、上述したような慢性的な交通渋滞、路地裏まで押し寄せるタビビトが生み出す雑音、マナー違反、寺社や美術館・博物館などの静謐な鑑賞環境喪失などが挙げられる。その他、地上げによるゲストハウスやホテル建設に伴う地価や賃貸料の高騰、違法な民泊営業などによる夜間の騒音やゴミの不法投棄の問題も生じている。

 確かにこうした諸問題はどれも深刻である。丁寧な対処による解決が不可欠である。一方で私は観光公害がもたらしつつある、もっと深刻な、そしてより本質的なダメージ(害悪)に関してはいまだ十分に認知されず、その結果、十分に議論もされていないと感じる。

 何かといえば、それは地域の固有の文化破壊ではないかと思う。過日、飛騨の白川郷に出かけた際、地元の方に次のような話を聞いた。「この合掌造りの古民家の中の幾つかはすでに域外の事業者の手に渡り、観光客相手の流行りの商売が始まっています。元々の農家の住人は次第に去り、コミュニティーの絆が急速に薄まっています」と。

 そうなのだ。目に見える景観は目に見えない地域住民の伝統的な生活文化が支えている。中身が空っぽになれば、どれほど見事な世界遺産の建物もただの物体になってしまう。最近わが畏友アレックス・カー氏が『観光亡国論』(中公新書ラクレ)を上梓した。興味深い洞察に満ちており一気に読了した。特に印象に残ったのはdumbing down(観光客向けに安っぽいものを提供すること)という言葉だった。同氏は、これを「稚拙化」と訳し、観光公害の最たるものと指摘している。私は膝を打って共感した。私の考える文化破壊現象を、彼は稚拙化という言葉で表現していた。

 では、観光公害が及ぼすご当地の伝統文化の劣化「稚拙化」に何で対抗するのか。対抗策はシビックプライド(市民の誇り)形成しかない。地域の揺るぎない固有性を磨き、育てることなくいたずらに観光振興にのみ邁進すれば、稚拙化による地域文化の劣化と変質が起きる。観光地マネジメントにおいて何よりも先に取り組むべきは、地域の固有性の自覚化戦略、シビックプライドの形成活動だとあらためて思う。

中村好明●日本インバウンド連合会理事長。1963年生まれ。ドン・キホーテ(現PPIHグループ)入社後、分社独立し、ジャパンインバウンドソリューションズ社長に就任。官民のインバウンド振興支援に従事。ハリウッド大学大学院客員教授、国際22世紀みらい会議議長、全国免税店協会副会長。

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